映画は、高速道路料金所から始まる。
ラジオなのか防災無線放送なのか、
地震により身寄りのなくなった孤児の引き受け両親を探すアナウンスが流れる。
瞬時に会話を交わし、
次々と車がさばかれ、
何処まで行けるのかを問う男が、
職業・映画監督、同乗者はそのこどもである。
イランで起きた地震を心配し、
自分が撮った映画に出演した人達の安否を確認に
オンボロ自動車で被災地に向かおうとする、
安否を尋ねるいわばロードムービーである。
車の車窓からは、
眺める地震被害の爪痕と黙々と片づけをする人達、
声を掛けた人からの人生訓のような言葉は
何故か心に突き刺さるものだ。
ドキュメンタリータッチで地震体験や安否を尋ねるやり取りは、
一命を取り留めたことを自問自答するシーンが痛々しい。
東日本大震災の被災者からも多くきかれた内容と重なる、
同じ家にいながら、
蚊に刺され、
移動した自分は生きのび、
蚊に刺されなかった兄は命を落とす、
何故、蚊は兄をささなかったのかと自分を責める。
忙しそうに片付けか何かをする。
深く考えるのを避けるかのように。
それでも、何故か、明るい。
希望を捨てない明るさがある。
オンボロ車ゆえ、
その車ではいけないぞと言われても、
幹線道路が渋滞で,
わき道に入り向かおうとする際にも、
道はどこかに続いていると前に進んでいく。
そして、
テントで暮らす被災者たちも、
お互いに助け合いながら、
サッカーのワールドカップを観るためにアンテナを立てることも忘れない。
そして、監督役の父親も、
あの車ながら、映画に出演した子供をみつけ、
急な歪曲した道路を登りきる、
その際に流れる音楽には、
何故か邦題である「そして、人生はつづく」と奏しているように思える曲である。
地震は、何百年に1回、
ワールドカップは4年に1回と
自然災害と催事を同列に並べ、
運命を静かに受け入れる姿勢に潔さを感じさせる。
生々しい被災状況ながら人間の意志の強さをみせ、
ドキュメンタリーならば、
このまま数年後にパート2が作れるだろう。
しかし、フィクションであり、
それぞれが素人の役になりきったドラマであり、
そのことが、又この映画の素晴らしさだろう。