秋菊の物語

しゅうぎくのものがたり|秋菊打官司|The Story of Qiu Ju

秋菊の物語

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レビューの数

6

平均評点

74.6(61人)

観たひと

103

観たいひと

18

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル コメディ
製作国 中国 香港
製作年 1992
公開年月日 1993/6/19
上映時間 101分
製作会社 北京電影学院青年映画製作所=銀都機構有限公司
配給 フランス映画社
レイティング
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演コン・リー 秋菊(チュウチュイ)
レイ・コーション 村長・王善堂(ワン・シヤンタン)
カー・チーチュン 巡査・季(リー)
リウ・ペイチー 夫・萬慶來(ワン・チンライ)
ヤン・リュウチュン 妹・妹子メイツ
イエ・チュン 医者
チュウ・ワンチン 慶來の父
ヤン・ホエイチン 村長の妻
リン・ツ 宿の老人
ツォイ・ルオウェン 局長・巌(イェン)
ワン・チェンファ 弁護士・呉(ウー)

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

中国北部、陜西センセイ省の農村に住む妊婦が、夫にケガを負わせた村長を訴えるため奔走する姿を描くヒューマン・コメディ。監督は「紅夢」の張藝謀、エグゼクティヴ・プロデューサーは馬逢国。一九九一年に発表された、当時中国で交付されたばかりの行政訴訟法を題材にした陳源斌の小説「萬家訴訟」をもとに、「菊豆」の劉恆が脚本を執筆。スーパー16ミリ(35ミリブローアップで上映)、マルチ・カメラ方式、隠し取りの撮影はドキュメンタリー出身の池小寧、于小群、廬宏義の共同。音楽は趙季平が担当。主演は「テラコッタ・ウォリア/秦俑」の鞏俐。共演の戈治均、劉佩王奇、雷恪生以外は全員素人の近隣の村の人々が出演している。九二年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、主演女優賞受賞。キネマ旬報ベストテン第二位。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

秋菊(コン・リー)の夫、慶來(リュウ・ペイチー)が、ささいなトラブルから村長(レイ・コーション)に股間を蹴られケガをした。反省しない村長の態度に納得できない秋菊は、身重の体で、義妹・妹子(ヤン・リュウチュン)と一緒に郡の役場へ行き、季巡査(カー・チーチュン)に事情を話す。季は双方反省の上、村長が二〇〇元払うという和解案を決めたが、お金を受け取りに行った秋菊に対する村長の高飛車な態度から、秋菊は県の役所に行くことにした。しかし審理の結果は全く変わらず、今度は市の役所へ。安宿の主人(リン・ツ)の紹介で市の公安局長(ツォイ・ルオウェン)に面会できた秋菊は上機嫌で帰って来た。数日後、村長のもとに裁決が届くが、ただ村長の支払いが五〇元増えただけである。秋菊は再び市の公安局長を訪ね、不満を訴えると、局長は裁定に不服があれば裁判にできると教え、弁護士を紹介してくれた。裁判は、事情通の宿の主人によると、公布されて間もない行政訴訟法に基づくもので、民間人に役人を訴える道を開くものであり、それをアピールすることから、秋菊が絶対有利だと言う。しかし結果は秋菊の敗訴。秋菊は局長のすすめで上訴し、数日後村を訪れた中級裁判所の調査員は、肋骨骨折なら傷害罪が成立するとアドバイスし、慶來のレントゲン撮影を勧めた。大晦日の夜、秋菊の陣痛が始まり、男手がなく病院に運べない。しかし村長が男たちを無理矢理動員して、夜通しかけて病院まで運ばせた。秋菊は無事男の子を出産し、村長に感謝する。しかし、二人のこれまでの因縁も解消かと思われた時、レントゲンの結果が決め手となって村長の傷害罪が成立し、公安局は村長を逮捕するのだった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1993年8月下旬上半期決算号

外国映画紹介:秋菊の物語

1993年7月下旬号

外国映画批評:秋菊の物語

1993年6月上旬号

グラビア《New Release(新作映画紹介)》:秋菊の物語

1993年5月下旬号

巻頭特集 アジア 映画王国の現在形:張藝謀「秋菊の物語」

2021/02/01

60点

選択しない 


近代化が成しえない中国が抱える矛盾そのものを描く

 原題"秋菊打官司"で、秋菊(チウ・チュ)の訴訟の意。陳源斌の小説『萬家訴訟』が原作。
 町の雑踏の中に義妹と荷車を引く秋菊(コン・リー)が現れ、カメラは荷車とともに賑やかな通りをパンしてが、市井をそのままに撮影したかのように、大勢の人々がカメラを意識せず自然のままに振る舞う冒頭のシーンが素晴らしい。
 コン・リーもよく見なければそれとわからないほどに朴訥な田舎の女として人々に溶け込んでいる。
 続くストーブの薪を割る町医者のシーンと、徹底した自然主義の演出によって本作が佳作であることを予感させるのだが、一転薄っすらと雪の積もる山道を行く荷車へと変わり、美しい農村風景との対比がまた素晴らしい。
 秋菊は唐辛子農家の嫁で、無許可で納屋を建てたことから夫が村長に股間を蹴られて怪我をし、村長が非を認めないことから謝罪を求めて郡の警官に訴える。治療費を払うことで収まりかけるが、村長は謝罪せず、金を撒いて拾わせようとしたことから秋菊は調停を拒否、村長の謝罪を求めて県の役所、市の役所へ訴えるが、調停案は変わらない。
 争いは遂に裁判に持ち込まれ第一審では敗訴。控訴中、大晦日に出産した秋菊は出血が止まらず、村長の尽力で母子ともに助かる。村人たちを招いての祝宴に村長を呼び、わだかまりが解けたかに見えたところに控訴の結果が届けられ、村長は暴行傷害罪で逮捕されてしまう。
 村を去って行く警察車両を追いかけ、謝ってほしかっただけなのにという秋菊の顔アップのストップモーションで物語は終わる。
 垢抜けない田舎女を演じるコン・リーの演技が素晴らしく、最後まで目の離せない良く出来た作品なのだが、ラストシーンがどうにもすっきりしない。
 怪我を負わせて謝らない村長の罪が、出産の命の恩人になったから帳消しになるというのでは余りにムラ社会的なふにゃけた話。秋菊の行動はいったい何だったのかということになる。
 テーマをわかりやすい官僚主義批判と捉えるには、村長の逮捕という結果は法治主義を貫いた中央政府を賛美することになる。
 当初、チャン・イーモウは本作をコメディにしようと考えたといい、本作の抱える矛盾を中国のムラ社会と中央政府に対する風刺で回避しようとしたのかもしれない。
 リアリズムに転じさせたチャン・イーモウが描きたかったのは何だったのか? 近代化しようとして成し遂げられない中国が抱える矛盾そのものなのか?
 ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞受賞。コン・リーは同主演女優賞。収穫した唐辛子の画面いっぱいに広がる赤など、映像の色彩の鮮やかさも見どころとなっている。(キネ旬2位)

2021/01/10

2021/01/12

90点

映画館/東京都/東京国立近代美術館 フィルムセンター 


ドキュメンタリーのようなチャン・イーモウ作品

ドキュメンタリーのようなチャン・イーモウ作品。実際に町の人混みの撮影はカメラを隠した盗撮方式でしたらしい。

辺鄙な山奥の村に住む一家の奥さんが秋菊です。お腹が大きい妊婦です。旦那が村長と喧嘩して、睾丸を蹴られて怪我をする。しかし村長は謝罪しない。納得できない秋菊は村の警察に訴えるが、金で頬面を叩くような村長にますます怒り心頭。郡の公安に訴え、市に訴え、街の裁判に訴える。話は、脇道に逸れることなく、それだけである。秋菊は自分の信じるとおり「一途に」進み続ける。

チャン・イーモウ作品のキーワードに「一途」「果てしなく」「○○し続ける」「大きな中国の移動」があります。後の『初恋のきた道』(2000)では、恋人の帰りを「一途に」ずっと「待ち続け」ていました。

想いの強さというテーマは本作でも。秋菊は身重でありながら辺鄙な山村から町や街へ、トラックの荷台や長距離バスに乗って、大きな中国を行く。

山田洋次作品に通じるユーモアが随所に観られる。人間を観察するとヒューマンコメディになるからだろう。コン・リーがド田舎の女を、化粧っ気なしで潔く演じきる。
単純なお話だが、とても印象的な傑作。後味も良い。

2000年代

2019/05/06

85点

レンタル 
字幕


深い余情

ネタバレ

物語の終幕、連行される村長をただただ呆然と見詰める他ない秋菊の、その胸に去来したであろうホロ苦い悔恨が観る者の思いとじわりとシンクロする。そして、そんな彼女のなんとも言い知れぬ困惑顔をクローズアップで捉えた終幕の深い余情が胸を衝く。

役人社会中国の割り切れない現状をそこはかとなく掬い取りながら、それに翻弄される人々の愚かしさや優しさ、哀しさや誠実さを、時にユーモラスに、時にリアリスティックに紡ぎ出したチャン・イーモウ。その陰影豊かな語り口が光る秀逸の人間ドラマ。

あと、主人公の頑なな心情を見事に体現したコン・リーの巧まざる演技が素晴らしく、垢抜けない風貌に身をやつしながらも、イーモウ作品のミューズたる圧倒的な存在感を画面に発していた。

2017/02/06

2016/08/17

70点

レンタル/東京都/TSUTAYA/SHIBUYA TSUTAYA/DVD 


小さな村の小さな出来事のはずが・・・。

ネタバレ

どこの国でも同じだが、都市部と地方の生活レベルには大きな差がある。殊に国土の広い中国では顕著だ。本作の主人公秋菊の、まだまだ昔風の生活が色濃く残る小さな村の小さな出来事が、現代の社会体制(あるいは社会の仕組み)の波によって翻弄される姿が描かれる。

きっかけは全く個人的なことだ。秋菊の夫が、村長とケンカとなり、大切な部分を蹴られてしまったのだ。秋菊は村を代表する村長がこともあろうに大事なところを蹴るなんて、と憤慨する。秋菊は村長に謝ってもらいたいために、身重の体で大奮闘する。

まず手始めに郡の役場に事情を訴えに行くと、村長はいくらかの慰謝料を払うという判決が下る。しかし秋菊がお金を受け取りに行くと、村長はぞんざいな態度をとり、全く反省しているようには見えない。村長の態度に納得できない秋菊は義妹を連れて県の役所へ行く。それでも秋菊の納得のいく結果が得られず、秋菊は県から市へ、しまいには裁判を起こすことになってしまう。

唐辛子農家として生計をたてている秋菊の家庭は裕福ではない。県や市への旅費は、毎回、市場で唐辛子を売って工面しているが、その唐辛子もそろそろ底をつきそうだ。「村長に謝らせたい」だけのことが、秋菊が戸惑うほど、どんどん大ごとになっていく。こんなことが無ければ、秋菊は小さな村の農家の嫁として、おそらく一生、社会体制(社会の仕組)に触れることはなかっただろう。近代化の波にのり、「平等」をかかげる中国政府において、寒村の主婦の訴えでもきちんと受理してはもらえるが、その社会体制が実は平等ではないという理不尽に見舞われるのだ。秋菊の目的は慰謝料を貰うことでも、村長を罰することでもない。ただただ、村長に謝ってもらいたいのだ。それだけのことなのである。そんな簡単な(はずの)ことが、どうして都市の公安局でもできないのか・・・?“お役所”の判決は、慰謝料の額を吊りあげたり、秋菊に親切にしてくれた公安局長を監督不行届で罰したりと、全く秋菊の望むことではない。結局、裁判までして秋菊の訴えは棄却され、秋菊の努力が全て虚しく終わる。それでは何のためのお役所なのか、何のための裁判なのか・・・?

言っておくが、村長は全くの悪人ではない。皆が皆顔見知りという小さな村では、全て家族ぐるみの付き合いだ。秋菊が村長宅を訪ねると、村長の妻はご飯を勧めたりと温かく迎えてくれる。では何故村長はこんなに頑なに、謝罪しないのか。村長には複数の子供がいるが全て女の子だ。一人っ子政策のおかげでこれ以上子供を増やせない。もしも秋菊のお腹の中の子供が男の子だったらと思うと、くやしくてくやしくて仕方がないのだ。彼は何故、秋菊が市の公安局に出向いたり、裁判を起こしたりしても静観しているだけなのか?それは自分に罪がないと思っているからではなく、本当は罪の意識に苛まれ、甘んじて罰を受けようと思っているのではなかろうか?小さな村で秋菊と顔を合わすことは何となく気まずいが、それでも難産の秋菊を医者まで担いでいってくれたではないか。

秋菊に無事男の子が産まれた。秋菊は命の恩人である村長に祝いの席に来てもらいたいと心から思っている。しかしそこに飛び込んできたのは、傷害罪での村長逮捕の知らせだった。胸の痛みを訴えていた夫が、レントゲンを撮ったところ、肋骨にヒビが入っていることが判り、医師の診断書があれば傷害罪で村長を再び訴えられるという役人の助言からだった。秋菊の望んでいたのはこんな答えではない。村長に牢屋に入ってもらうことではない・・・。

秋菊を演じるコン・リーが実に魅力的だ。赤いほっぺ、大きなおなか。一見してダサい(笑)田舎娘が、都会で輪タクにボラれたり、公安局長の自宅に招かれた際の手土産がトンチンカンだったり(絵とフルーツの籠盛りって・・・笑)、都会風のファッションじゃないと騙されるからと、買った洋服があんまりのセンスだったり(笑)。コミカルでリアルな描写の中でチクリと刺さる社会の理不尽。自らの主義主張が通らない「平等社会」の不自然さ。ラストシーンの秋菊の表情が、チャン・イーモウの仕掛けた問題定義だ。それは我々のまったく身近なところにある。

2002/11/20

2013/08/11

80点

テレビ/無料放送 


チャン・イーモウ監督とコン・リーの根性ドラマ

2002年11月20日、鑑賞。

一般人の夫婦がいたが、村長に夫を怪我させられた妻(コン・リー)が勝訴するまで奔走する根性ドラマ。
自分の出産を控えながらも、夫のため、というか執念で駆けずり回るコン・リーの姿が印象的なチャン・イーモウ監督作品。

一見の価値あり。

1993/08/18

2013/07/02

85点

映画館/大阪府/テアトル梅田 
字幕


佳作

1993年8月18日に鑑賞。大阪・テアトル梅田1にて。前売1300円。

チャン・イーモウ、コン・リーの佳作である。中国映画16本目。