『さらば、わが愛/覇王別姫』
霸王別姬
Farewell My Concubine(さよなら私の愛妾)
中国・香港・台湾
1993
「人と生まれた者は芝居を楽しむ。豚や犬が芝居を見るか?京劇を観にこない奴らは人間ではない。けだものだ。京劇のある所には役者の出番がある」
「人前に出るには人に隠れて修行を積む事だ」
「我が力は山を抜き、気は世を蓋う
我に時の利なく、馬行かず
馬行かざるを、いかにすべき
虞姫をいかにすべきや」
「『覇王別記』はどうやら姫が王を捨てる筋書きに変わったようだ」
「我々満州貴族の天下は300年。民国政府はあっという間にひっくり返った。今や共産党の時代。しかし祝典にはあなたの芝居が必要なのは同じ事。変わるのは紙幣だけ」
『国宝』の李相日監督が若い頃観て強い印象を抱いていつかはこんな映画を撮りたいと思った作品らしいので数十年ぶりに再見しました。
1930年頃から1987年頃までの中国を背景にした歴史に翻弄される京劇俳優達の愛と人生模様を描いた長編映画。『国宝』は1960年から1990年頃までの30年間だが世相や歴史の影響は映画には盛り込まれていない。
『覇王別姫』が描いているのは
・国民党と軍閥が乱立していた時代
・日中戦争時代
・国民党政府時代
・共産党の時代
・文化大革命とその後まで
近現代中国の大変革期を描いている。
京劇俳優たちは同じ演目を同じ様に演ずるが観客側が入れ替わっていく。日本軍ですら大人しく観劇していたのに国民党の兵士は俳優に懐中電灯の光を浴びせて舞台に物を投げる。だが一番最低なのは文化大革命で俳優達を地面に座らせて自己批判と仲間への批判をさせる紅衛兵達。
主人公・”小豆子”こと程蝶衣〈チェン・ディエイー〉(演:レスリー・チャン)は娼婦の子供。大きくなって娼館に居られなくなり母親は京劇一座に引き取ってくれるよう頼むが指が六本ある多指症のため断られる。すると母親は六本目の指を斧で切断して一座に預ける。
「女郎の子供」と一座の子供達に虐められた時に守ってくれたのは”石頭”こと段小楼〈ドァン・シャオロウ〉(チャン・フォンイー)。次第に小豆は石頭を愛するようになる。
一座の厳しい修行の描写が凄まじい。そして脱走して束の間の喜びを得た後の姿に涙が、、
蝶衣と小楼は成長して人気俳優となり『覇王別記』で虞姫と項羽を演じるようになる。蝶衣の思いを知らない小楼は娼婦・菊仙〈ジューシェン〉(コン・リー)と結婚する。
蝶衣と小楼と菊仙の三角関係と中国近現代の動乱が描かれていく。
『国宝』ほど耽美的ではないけれど覇王別記の舞台は美しい。衣装とメイクの華々しい情報量の多さに圧倒される。
蝶衣は女形(おんながた)、小楼は立ち役だけど、実生活では小楼はやすやすと権威に頭を下げるのに対して蝶衣の方が自分を曲げない剛毅さを持っている。
菊仙役のコン・リーさんの最後の表情には心を奪われた。全てを失った絶望の顔。
文化大革命が破壊したものの大きさにため息をつく。文化大革命は人と人の間の信頼や愛情を破壊した。自分が生き残るために家族同然の人間を売るように仕向ける。人間から尊厳を奪って社会が存在していく基盤を破壊してしまったんだと分かる。