冬の旅

ふゆのたび|Sans toit ni loi|----

冬の旅

レビューの数

16

平均評点

76.9(76人)

観たひと

121

観たいひと

17

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 フランス
製作年 1985
公開年月日 1991/11/2
上映時間 106分
製作会社 シネ・タマリス=フィルムA2
配給 フランス映画社
レイティング
カラー カラー/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

南仏の路傍にさすらいの末に倒れて死んだ18歳の少女の孤独な道行が目撃者の証言を通じて描かれる「アニエス・Vによるジェーン・b」のアニエス・ヴァルダの監督・脚本作。撮影に「女の復讐」のパトリック・ブロシェ、音楽はジョアンナ・ブルドヴィッチがあたった。出演はサンドリーヌ・ボネール、マーシャ・メリルほか。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

冬枯れの南仏の野原。行き倒れの一人の少女。その身許を語るものは何もなかった。ただ彼女がその孤独な旅の途中で出会った人々の記憶の中を除いては……。彼女の名はモナ(サンドリーヌ・ボネール)、18歳。寝袋とテントを担いでヒッチハイクをしながらのあてどのない旅。時折、知り合った若者と宿を共にしたり、農場にしばらく棲みついたりすることはあったものの、所詮行きずりの人々にモナがその内面を垣間見せることは滅多になく、またいずこともなく消えてゆくのが習いだった。ある時、プラタナスの病気を研究している女性教授ランディエ(マーシャ・メリル)がモナのことを拾う。ぽつりぽつりと自らのことを語るモナ。ランディエも彼女に憐れみを覚えるが、結局どうすることもできず、食料を与えて置き去りにする。モナは森の中で浮浪者に犯された。またしても放浪の旅を続けるモナはついにはテムの街で浮浪者のロベールたちと知り合い、すっかりすさんだ様子になってしまった。そしてそこへ、前にモナと空き家の別荘で暮らしていたユダヤ人青年ダヴィッド(パトリック・レプシンスキ)がやってきて、マリファナの取引きのことでロベールといさかいになってモナの住んでいたアジトは火に包まれてしまう。すっかり薄汚れて再び路上に戻ったモナはパンを求めて近くの村に赴くが、今しもそこはブドウ酒の澱かけ祭のさなか。何も知らないモナは彼女に澱をかけようとする屈強の男たちに追われ、恐怖に顔をひきつらせ、そのまま力尽きて路傍に倒れ込む。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1992年3月上旬号

外国映画紹介:冬の旅

1991年11月下旬号

グラビア《Coming Attractions》(新作紹介):冬の旅

1991年11月上旬号

KINEJUN CRITIQUE:冬の旅

2023/03/16

2023/03/18

30点

映画館/東京都/目黒シネマ 


主人公に魅力が感じられない

人気のない冬の避暑地で発見された10代の女。
旅していたときの映像や彼女への証言を基に、カメラは死ぬまでの女の軌跡を探っていく。虚構とドキュメンタリーが混じり合うような作り。
主人公の女は監督の自画像なのだろうか。申し訳ないがまったく魅力が感じられない。自由を求めるのはいいが、可愛げなく、ピッピーのような人たちとつるむようになり、孤独のまま死んでゆく。悲哀も同情もなにも湧き上がらなかった。

2023/01/13

2023/03/03

70点

映画館/沖縄県/桜坂劇場ホール 
字幕


女はつらいよ、男もだけど

パンフレットにはアニエス・ヴァルダ監督のコメントがある。
「自分には理解できない女性、ある種、怒りに満ちた感情をもって描きたかった」

監督自身がこのヒロインに共感していないのか。それならなぜこの映画を演出したのか。「ある種、怒りに満ちた感情を持って描きたかった」とは何に怒りがあるのか。

ヒロインは冒頭のナレーションでは「モナ(ヒロインの名前)が海から来たように思える」と表現している。何か実体がない象徴のような人物なのだろうか。

モナは何ものにも縛られない自由な生き方をしたいという。それが社会や人間関係の縛りに対する反抗とかいったようなものではない。「楽がしたいから」という子供じみたなんというか思春期のこじらせかい、と思った。だが、そういう考えは女性ばかりでなく、男性でも誰でもふと思うことがあるだろう。私などはなんのしがらみのない車寅次郎をバカだな~と思いつつ、そういう風に生きていけたらいいな、という羨望も感じる。

そんな楽して生きたいからと言って、労働も拒否して誰かの家に泊まらせてもらう生活なんてできない。金を稼がなきゃ生活はできない。まったく他人と接触しないで生きるなんてできないし、そうしたいなら人里離れて山奥に引っ込むしかない。そうして生きるサバイバルなんてモナにはできないだろう。そうなると妥協して他人との中で働くしかないが、それも嫌というのならこれは単なるわがままとしか思えないし、そんなことではまあどこかで死亡するのは分かり切ったことだ。したがってモナの末路は冒頭で描かれる。彼女は結局死亡する。まったく自由に生きるということは末路はこうなるということはモナは本望でないだろうし、それを想像なんかしていないだろう。それではモナは考えが甘かったのだろうか。

なにか頑なに自由に生きることに執着するのは、ひょっとして人生に絶望してしまったからなのだろうか。何があったのかは説明していないし、ヴァルダ監督も彼女は理解できないとしているから、こちらで彼女の絶望を想像するしかない。

例えば男性と一緒になる、付き合うということでは、男性は女性に自分に尽くしてくれることを望むのだろうし、そのためには自分の時間を相手の男性のために使うことであるから、それはいくら愛している男性のことだからと犠牲にできないことなんだろうと思った。

このモナの旅で出会った男性を見ると、彼らは自分の理想の女性像を求めているようである。男性の哲学者もモナと同様に何ものにも縛られない自由を求めていたと思う。だが現実には何か仕事をして金を稼がなきゃ生活はできないことはよく分かっている。だからモナにも彼女のためにとは思って説教するのだが、言葉の端々には女は男の庇護のもとに、彼に尽くせという男の女への理想がうかがい知れる。

対してモナが出会う女性たちは、こんなことは現実にはできないが、女性に対する男の縛りにはうんざりしていて、そんな呪縛とはまるで関係なく生きようとするヒロインはうらやましいと思っているに違いない。

この映画の製作は1985年。フランスでもこの時代は男尊女卑が強かったのだろう。外国人の私から観れば、フランス女性は自由に生きているものだと思ってしまうのだが、現実には違うのだろう。
ヴァルダ監督の「ある種の怒りの感情に満ちた」というのはこの男性優位の社会に対するものではないか、と思うのである。

2023/02/25

2023/03/02

84点

映画館/茨城県/あまや座 
字幕


モナを生み出すもの

ネタバレ

ホームレスの若い女性が彷徨の果てに凍死するまでの、彼女の冬の旅を描く。
アニエス・ヴァルダ監督作品。原題は、「屋根もなく、法もなく」というような意味。

冬の朝、田舎の畑の窪地で若い女性の死体が見つかる。身一つで凍死したらしい。
そんな女性の、死までの姿が描かれる。海岸で水浴していた彼女を、海からきたようだとナレーションが伝えるが、彼女の生い立ちは何も語られない。

究極の個人主義とも思える女性、モナ。だが、自由人というにはそぐわない。
とても享楽志向の持ち主であり、楽をして過ごしたいとうそぶき、放牧家の男性から愛想をつかされたりする。
だが、プラタナスの保護を行っている植物学者の女性に気に入られる。彼女はモナと別れたことを後悔して、部下の技師に探すように依頼もする。

そんな彼女と遭遇した人々のコメントをカメラが拾いあげ、色んな意見が語られる。それは、彼女の多面性というよりも、語る側の人間性なのだろう。
世の中を写すかのような鏡だった。そういう女性の死を描いた。
それは、ヴァルダ監督の意図でもある。彼女にもモナの生い立ちも思考も、内面は「わからない」のだ。

だからこそ、この尖りきった少女を輩出することのない世界をつくることが、この映画を見て思うことである。
アニエス・ヴァルダの思いもそこにあるのだろう。

だが、40年近く経て、この世界はいっそう不寛容となっている。だから、いまもモナは生み出され続けている。
ヴァルダはどう思うだろう。

2023/01/22

2023/01/25

85点

映画館/福岡県/KBCシネマ 
字幕


自由と言う名の現実逃避

公開当時に見て名作だと認識したのであるが今回再見してその気持ちを新たにした。
去年公開された「あのこと」では中絶が違法と知りつつ自分の未来のため闇医者探しに奔走するヒロインの母親を演じていたのがサンドリーヌ・ボネールだった。随分貫禄がついていたが本作の彼女は初々しいだけでなく寂しげで影のある表情がよく似合う若者だった。

彼女は何故旅に出たのか。
本人曰く、自由になりたいから。
自由のためなら薄汚れたテントの中で売春もするし堅いパンをかじったり銀食器を盗んだりもする。体臭がにおいはじめても意に介さず彼女はその日暮らしを満喫していた。元哲学の教授で今は妻子と家畜を飼って生活している男が彼女を指して、現実逃避だと言っていたが自分もこの意見には賛成だ。生きていく上では嫌なことを仕事と割り切ることもあるし、気に食わない人間の前で愛想笑いする時もある。それを一切拒絶したヒロインの最期は飢えた挙げ句に畑横の側溝で凍死するという悲惨なものだった。ファーストシーンで死体が発見され、そこに至るまでの彼女の足跡を数週間遡りながら目撃したり会話したりした人たちが印象と人物像を語っていくスタイル。
彼女を自由の象徴のように捉える者もいれば、逃避者と決めつける者もいた。自由は尊く、そして手に入れるものが難しいもの。ほとんどの映画は手に入れようとする主人公のサクセスストーリーを描くが、本作はひたすら堕ちていくヒロインの惰性を描いた。そのテイストはほろ苦さを通り越して辛酸そのものだった。

2022/12/10

2023/01/20

50点

映画館/群馬県/シネマテーク高崎 
字幕


何を嫌ったのだろうか?

他者の証言の積み重ねでしか知りえない彼女。
会話した人が聞いた彼女の言葉もあったとしても
真意は彼女の胸の内。

ルールに縛られる社会に嫌気がさしたのか?
自由に生きたいとただそれだけを願ったのか?
押し付けられる責任から解放されたかっただけなのか?

映画『イントゥ・ザ・ワイルド』でアラスカへの放浪の旅路の果てに亡くなった若者(男性)の姿を観ましたが、何となく似ているような…

世捨て人として生きるには術を持たな過ぎたのでは?
とも思ってしまう。何かしらの自活の為の手段を取得できてないと
どこかで社会と交わらなければいけないし
結果的に社会のルールである金銭が必要になってしまう。

誰も踏み入らないような場所で田畑を耕して生活するとか
狩猟生活を送るとか…だとしても社会のルールにある程度は縛られるはず。
全てから逃避するとしたら死しかないような…

だからあの最後は彼女の望む結果だったのだろうか…
そこのところの理解は私には難しい。

2022/12/14

2022/12/31

69点

映画館/宮城県/フォーラム仙台 
字幕


自由とは一体何なんだ

 1985年のフランス映画。18歳の少女モナが寝袋とテントを担いでのあてどのない路上生活をし、放浪生活の果てワインかけ祭りで追われ行き倒れてしまうのだった。
 自由であることは難しい。誰かとつながったり助けられたりすることで生きていけるのだろうが、それだけでは自由を謳歌できない。その先には生が行きついてしまうのか。なぜ少女が家を出たのか、なぜキャンプのような路上生活を続けるのか、彼女の内面は推し量る以外には知らされない。彼女とちょっとだけ関わった人たちの様子からは決してうかがうことができない。それでもモナが不幸だったのかといえばそうでもなさそうだった。まあワインかけ祭りでワインをいっぱいかけられたのは不本意だっただろうし、そのせいで凍えて死んでしまうというのも本意ではなかったとは思うが、それでも不幸ではなかったんだろう。それから40年たった現在でも、状況はあまり変わっていないのかもしれない。人とつながらず自由に生きていくにはこの世界は狭すぎるかな。