泳ぐひと

およぐひと|The Swimmer|The Swimmer

泳ぐひと

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レビューの数

27

平均評点

74.5(108人)

観たひと

149

観たいひと

12

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1968
公開年月日 1969/9/9
上映時間 95分
製作会社 ホリゾン・ピクチャーズ
配給 コロムビア
レイティング
カラー カラー/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演バート・ランカスター Ned_Merrill
ジャネット・ランガード Julie_Hooper
ジャニス・ルール Shirley_Abbott
トニー・ビックリー Donald_Westerhazy
マージ・チャンピオン Peggy_Forsburgh
Nancy Cushman Mrs._Halloran

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ジョン・チーバーの原作を、「リサの瞳のなかに」のフランク・ペリーが監督、脚色はペリー夫人のエレノア・ペリー。撮影はTVコマーシャル出身のデイヴィッド・L・クエイド、音楽はマーヴィン・ハムリッシュ、美術をピーター・ドハノス、編集にはシドニー・カッツ、カール・ラーナー、パット・サマーセットの3人が担当している。出演は「インディアン狩り」のバート・ランカスター、他にTV出身のジャネット・ランガード、「サイレンサー 待伏部隊」のジャニス・ルールなど。製作はペリーとロジャー・ルイス。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

夏のある日曜の午後。ネッド・メリル(バート・ランカスター)は水泳パンツだけという姿で、友人ダンの家を訪れた。友人夫婦は前夜のパーティでくたびれており、一緒に泳ごうというネッドの誘いを断った。昔は皆一緒に泳いだ仲だったのに。ここでネッドは、隣人たちのプール伝いに泳いで家へ帰ろうと決心した。ダンのプールを泳ぎ渡ったネッドは次にベティ・グレアム家のプールを訪れた。かつてネッドが恋したベティは、新築のプールを自慢し、小市民生活に満足しきっていた。幻滅し、ネッドはハマー夫人の家へ向かった。が、ハマー夫人は、息子が病気の時ネッドが見舞いに来なかったのを根にもって、冷たく追い払った。ジュリアン・フーパーの両親は留守だったが、かつてメリル家の子守りをしていたジュリアンは、美しい娘に成長していた。彼女はネッドの泳ぐことに賛成で、一緒に行くことにした。一緒に友人のプールを泳ぎ、野生の馬と競争したり2人は楽しい時を過ごした。ハードル越えをやって、ネッドは足に怪我をしたが。しかし、ネッドは、ジュリアンがコンピューターによりボーイフレンドを選んだという話をした時、彼女にも失望を感じ、1人で次のヌーディストのハローラン家に向かった。道を行くネッドの前に少年が現れた。少年の家のプールは渇れており、同じように少年の心も失われていた。ビスワンガー家はパーティの最中。正装した人々の中で、ネッドは招かれざる野蛮人だった。続いてネッドは昔の愛人で女優のシャリー・アボットを訪ねた。シャリーは心の古傷をえぐられ、彼を追い返した。公衆プールでさんざんに冷遇され、ネッドはやっとのことで家へ帰りついた。が、家は廃墟となっており、彼を待つものは誰もいなかった。扉を叩くネッドに冷たい雨が降り続いていた。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1970年2月上旬決算特別号

特別グラビア 外国映画ベスト・テン:アポロンの地獄/真夜中のカーボーイ/ifもしも・・・/ウィークエンド/ローズマリーの赤ちゃん/泳ぐひと/できごと/フィクサー/ジョンとメリー/さよならコロンバス

1969年7月下旬号

外国映画批評:泳ぐひと

1969年7月上旬夏の特別号

特別グラビア:泳ぐひと

特集 「泳ぐひと」:ティーチ・イン 成島東一郎×西村潔×石松愛弘×田山力哉×河原畑寧

特集 「泳ぐひと」:作品論

特集 「泳ぐひと」:監督の顔

外国映画紹介:泳ぐひと

1969年6月下旬号

旬報試写室:泳ぐひと

2024年

2024/02/11

65点

VOD/Amazonプライム・ビデオ/購入/PC 
字幕


光と闇 躁と鬱 チーバーとランカスター

「痛切でありながら、ある種の優しさを漂わせる、洗練されたアイロニーの感覚」
 小説を翻訳した、村上春樹らしい洒脱な書評である。

 謎の多い映画だ。おおよその背景や構造は分かった。サイコスリラーの側面もある。謎をさぐってみる。いや、想像する。まず、オフビートな主人公ネッドは、確実にメンタルヘルスを病んでいる。海パン一丁で病院を抜け出した患者かもしれない。今ごろは、きっと捜索願いが出ている。

 入院患者でないならどうだろう。ここで出会う知人のほとんどは、現状の彼の詳細を知らない。もちろん敗残者は、高級住宅地には住めない。鉄道やバスは使えない。なぜなら、彼は海パン一丁で、財布を持っていない。よその町から来るにはマイカーが必要だ。しかし、いくら心が病んでいるとは言え、車と着替えを置き去りにして、マイホームに帰るだろうか。

 監督のフランク・ペリーは、製作の終盤でクビになっている。代わってシドニー・ポラックが後を引き継いだ。さらに、女優バーバラ・ローデンで撮影が進んでいた元愛人シャーリー役は、ローデンの旦那エリア・カザンが口を挟み降板させている。他にも何人か配役が交替し、再撮影された。キム・ハンターも後の組だ。これらの事件もまた謎である(プロデューサーの謀略だとか)。

 短編小説『泳ぐひと』の映画化は、バート・ランカスターが持ち込んだ企画らしい。主人公ネッドにはランカスターと重なる部分もありそうだ。リベラル派の彼は民主党を支持し、公民権運動やベトナム反戦、反死刑など、多くの革新、左翼的ソーシャル・ムーブメントに積極的に参加した。ネッドのアッパーな社交性とポジティブな《躁》はこれに重なる。
 ランカスターの二番目の妻ノーマ・アンダーソンもまた、社会運動をライフワークとする自由主義者だった。映画本編で語られる「婦人有権者連盟」とは、彼女がもっとも精力を注いだ政治団体である。
 しかし、23年間続いた結婚生活は破綻する。ランカスターには多くの愛人がいた。彼の浮気相手は男女を問わなかった。ロック・ハドソンも大切な友人だった。今日のハリウッドにおける、同性愛者のオープンなライフスタイルの基礎は、この二人のスター俳優が築いたと言われている。その強欲な性的傾向はFBIの監視対象にさえなった。SEX依存症として報告書に記される。また彼は芸能の人種にありがちな、重い《鬱》に悩まされていた。

 小説家ジョン・チーバーもまた、バイセクシュアルとして知られている。結婚生活を送りながら、数多くの男女と関係を持った。そして重度のアルコール依存症である。ニューヨーク御用達の短編小説家と評価されることが多かったが、労働階級、女性、黒人の視点で書けない作家というレッテルも貼られている。

 ランカスターとチーバーには、実生活に裏打ちされた光と闇という具体性の中に、男性優位の神話思想が共通言語として見え隠れする(もちろんLGBTとは別次元の文脈)。そして小説と映画が、これに重なって見えてくる。本作品からうける"アイロニーの感覚"とは、私にとってはこの四者に共振する虚栄のイマジネーションの奇妙な対象化に相当する。

2024/01/18

2024/02/05

80点

レンタル 
字幕


人生の荒波を泳げなかったひと。

ネタバレ

日本で公開されたとき、あまりに不思議な設定で驚いたことを憶えている。なにせあの大スターのバート・
ランカスターが海パン一つで、他人のプールをめぐる、というスト-リーに面食らったのだ。これは観ても
理解でないはず、と早々に降参して、私の観るべきリストからお蔵入りしてしまった。
映画レビューを書くようになって気がついたことだが、難解な映画を観ても、自分の言葉で格闘すると、
何かしらのヒントも見える。見終わって、そのまま放っては記憶から消えていくだけ。なんとか映画との
キャッチボールが出来ないか、頑張ってみる。

ともかくこの映画の居心地の悪さは、他に類を見ない。プール付きの豪邸が並ぶ高級住宅地のはずれから、
のっそりと海水パンツ一枚で姿を現わす。プールにいた人たちは、そのネッド・メリル(バート・ランカスター)
と顔なじみで、話が弾む。その邸は見晴らしが良く、ネッドの住いの近くまで見通せる。ネッドは邸のプールを
泳ぎながら自宅まで帰ることを思いつく。周りの人は、ネッドの酔狂を笑うわけでも、諫めるわけでもない。
ネッドは中年だが筋骨隆々で、周りの人たちも一目置く。家に帰れば、娘たちはテニスをしているはず。
スゴロクの上がりで、自宅のプールにたどり着けがゲームは終わる。
次々に邸のプールを訪れる。かつて娘のシッターをしていたジュリーは、男盛りのネッドに好意を持っていた
と告白する。パーティに興じる家のプールは虚飾にあふれている。ネッドと不倫関係にあったシャーリーの
家のプールに着くと、彼女はネッドに冷淡だった。
日が傾き、空気は冷たくなる。ネッドの肉体は寒さで縮こまる。クルマが激しく往来するハイウェイを、裸足で
海パンひとつの男が危なっかしく横断する…。

エンディングは残酷にネッドの今の姿が明らかになる。オチのようでもあるが、必然の終幕とも言える。
原作は短編小説なので、書き込む描写から解放されているので、このような人生の切り取りが出来る。
パンツ一枚になっても、簡単に自己再生をさせてはくれない。それほど怖ろしい映画だ。

2023/08/05

2023/08/07

80点

VOD/U-NEXT 
字幕


「空が青いから 私はかなしい シルバーブルーのさざ波に 甘い香りの木もれ陽に ふたたび帰らぬ 若き日のしあわせ」

アメリカンニューシネマを追っかけてたら本作と遭遇。
プールをはしごして家に帰るというあらすじを読んで観賞。
そのまんまであった。
そのまんまだけどやられた。
前半は半笑いで観てたが中盤くらいから引き込まれる。
まぁそのくらいでオチはみえてくるのだがそれでも引き込まれる。
こういった想像力任せの投げっぱなし作品は好き。

2023/07/11

2023/07/11

76点

選択しない 


プールをたどるロードムービー

ニュー・アメリカン・シネマとして紹介され気になっていた映画で、ジョン・チーバーの短編を読んで、さらにその設定の妙に感心しずっと観たいと思っていた映画。知人のプールを泳ぎながら自宅で帰るという富裕層への皮肉を込めたかのようなお話ですが、それぞれのプールをめぐるエピソードは小説よりも生々しく、大きく異なるエンディングはショッキングで驚きました。

2023/03/31

2023/03/31

100点

テレビ/有料放送/スターチャンネル 
字幕


5年ぶり6回目の鑑賞

原作ありきの映画。
フランク・ペリーの「わが愛は消え去りて」「ドク・ホリデイ」も期待をもって当時見たが・・・。
「リサの瞳のなかに」もテレビで後年見た。

50代の男性ネッドが主人公だが、ニューシネマの代表作と言える。
自宅の庭にプールがあるアメリカ・白人上流階級を皮肉った作品。
ラストへの伏線は、ネッドが訪ねるプールの持ち主の言葉だ。
気をつけて見ていると、ラストは当然の帰結だ。

ネッドは、最初は《何カ月か記憶の空白》があるのかと思って見ていると、次第にそれが《何年かの記憶の空白》ではないか、ということになる。
記憶の空白、記憶の喪失。
彼はどこから来たのか?
海パン一丁で。
季節は秋のようで、最初は颯爽と若々しい肉体を誇示していたネッドが、終盤は寒さに、そして現実に震える。

成功者から転落へ。
製作された1968年、アメリカン・ドリームが崩れたのか、ハリウッド映画の幻影が消え去ったのか。
興味深い作品である。

白人しか登場していなかったかと思ったら、黒人がひとり出て来ていた。
お屋敷の運転手だった。
ネッドのことを軽蔑はしていなかったが、冷ややかな態度だった。
YouTubeで、町山智浩氏の前解説6分、後解説17分が聴ける。

94分。
カラー・ビスタ
所持しているレーザーディスク 4:3 スタンダードの絵の上下を切ったものだと思う。

「猿の惑星」のジーラ博士のキム・ハンターが素顔で出ている。

2023/01/30

2023/01/30

87点

テレビ/有料放送/ザ・シネマ 


シニカル、辛辣な寓話

これは異様で面白い傑作。シニカル、辛辣な寓話で筋肉美と社会性を兼ね備え、成功者の様に見えるB・ランカスターがどんどん化けの皮が剥げていく。しかも本人にその自覚が最初はないのだが、やがて自分の惨めさを受け入れざる負えなくなる。廃墟となった家で迎えるラストシーンのなんと残酷な事か。
町山智浩さんの解説を見て、時空を超えているという指摘に納得。確かに短時間に夏から秋に移り変わっているし、あの子どもは少年時代のランカスターだな。