私が子供のころ、テレビの洋画番組でラブシーンを観るのは密かな楽しみだった。
1940〜50年代のシチリアの小さな村、唯一の娯楽施設である映画館〝シネマ・パラダイス〟では、管理者の司祭が検閲をし、ラブシーンは徹底的にカットされていた。
映画館には大人も子供も一緒にいて楽しんでいる。観客はラブシーンがカットされた場面で大ブーイングだ。
10歳のトトことサルヴァトーレ(サルヴァトーレ・カシオ)は小遣いをもらって司祭の手伝いをしていたから、司祭ひとりだけの試写をいつも覗き見していた。また、映写室に入り浸って映写技師のアルフレード(フィリップ・ノワレ)に邪魔扱いされながらも、フィルムをカットする仕事を見物していた。
だからトトはカットされるラブシーンを観ていたのだ。
カットしたフィルムは後で元通りに繋ぎ直すのだが、結局元の位置が分からなくなって戻せないフィルムがドラム缶に山になっている。
これがラストシーンの布石になっていて、この結末を若い頃にはニヤリとするオチだと思ったけれど、いま観るとなんともじんわりと沁みてくるエンディングなのだ。
フィルムに引火して火事が起き、アルフレードは火傷で視力を失い、劇場は丸焼けとなった。
サッカーくじで大当りを出した男がオーナーとなって〝新・シネマ・パラダイス〟が新装開業し、村で映写機が扱える唯一の人となった10歳のトトが映写技師を務めることになる。
日本では映写技師は国家資格(免許)を持つ職業だった。デジタル化された現在は免許が必要な仕事ではないだろうと思ってチラと調べてみたら、なんと1962年に免制許は廃止されていた。私が生まれた年だ。なのに私は映写技師は国家資格だとずっと思い込んでいた…。
本作劇中にアルフレードが新素材の燃えないフィルムに感心する場面があるとおり、可燃性フィルムがなくなったことが免許制廃止の理由だ。
青年になったサルヴァトーレ(マルコ・レオナルディ)は恋をする。
一目惚れの相手エレナ(アニェーゼ・ナーノ)との恋は実るが、やがてエレナは父親と共に転居し、サルヴァトーレは徴兵で軍隊に入る。
兵役を終えたサルヴァトーレは村に戻るが、そこにエレナはいない。
アルフレードがしきりにサルヴァトーレに村を出ることを勧める。村を出たら二度と戻るなとまで言うのが、若い頃の自分は理解できなかった。
自分がアルフレードの歳に近づいて、この気持ちが理解できてきた。
若者は外の世界に羽ばたいていかねばならない。
田舎の小さな村にくすぶっていてはいけない。
だが、生半可な気持ちでただ故郷を出ただけでは大成しない。故郷は捨てて、退路を断つことこそ必要なのだ。
アルフレードは自分ができなかったことをサルヴァトーレに託したのだ。それはアルフレード自身も忘れ去られる対象だと知っていながら。
30年の歳月が過ぎ、サルヴァトーレ(ジャック・ペラン)は映画監督となって成功していた。
アルフレードの訃報を受けて30年ぶりに母が住む村に戻ったサルヴァトーレは、廃墟と化した〝新・シネマ・パラダイス〟に愕然とする。
ビデオで映画が観られるようになり、一館しかなかった映画館はその役目を終えていたのだ。
サルヴァトーレは、年老いたかつての映画館のオーナーが自分に敬語を使うことに寂しさを感じただろう。村人たちから見ると、自分はもう少年トトではなく誰もが敬う名士なのだ。
この村に、大人も子供も一緒になってまばゆいばかりのアメリカ映画を観る場所はもうない。
この映画は、映画館で映画を観ることが人間に歓びをもたらすのだと改めて教えくれる。
むかし大林宣彦氏が「映画館のマナー告知が嫌いだ」と仰っていた。映画はみんなでワイワイ言いながら楽しむものだ、と。
照明を落とした暗がりではスクリーンだけが光を放つ。
それぞれのバックボーンなど知る由もない見知らぬ人々がその暗がりに集い、同じ映画を観る。
誰も笑わない場面で一人だけ声を出して笑った男、ラブシーンでモゾモゾと身体を揺らしていた少年、悲しい場面でこれでもかと鼻をすすった女性、シンミリとした場面で大きなクシャミをして雰囲気を壊してくれたオジサン、後ろの席のオバサンは独り言のようにボソボソ何かを呟きながら観ていた…そんな感性も異なる人たちが、確かに同じ1本の映画を観ている時間。
その至高の時間を与えてくれたのが映画館だった。
この映画のイタリア公開オリジナル版は、サルヴァトーレの現在にもっとスポットが当てられていて、中年のエレナが登場する。
日本で公開された国際版はその辺りを大幅に改編して、少年期・青年期に重心を置いたことでノスタルジー溢れる傑作となった。
封切りは「シネスイッチ銀座」の単館で、劇場前には長蛇の列ができた。
その前年(だったと思う)、『ベルリン・天使の詩』が渋谷の「ル・シネマ」で封切られ異例のロング・ラン興行となったばかりで、ミニシアターブームの真っ最中だった。
ブームだったとはいえ、『ニュー・シネマ・パラダイス』の興行実績は単館興行の記録を樹立し、今も破られていないのではないか(たぶん)。
本作の劇中でも〝シネマ・パラダイス〟に入りきれない観客が外に溢れている場面が描かれている。
皆、映画館で映画を見ることが無類の楽しみだったのだ。
シネコン全盛、全席指定・入替え制が常識の今、映画館に長蛇の列という風景こそ、ノスタルジーの極みかもしれない。