ニュー・シネマ・パラダイス

にゅーしねまぱらだいす|Nuovo Cinema Paradiso|----

ニュー・シネマ・パラダイス

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レビューの数

219

平均評点

85.1点(2049人)

観たひと

3068

観たいひと

271

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 イタリア フランス
製作年 1989
公開年月日 1989/12/16
上映時間 123分
製作会社 クリスタルディ・フィルム=レ・フィルム・アリアーヌ=TFIフィルム・プロ=RAI3=フォーラム・ピクチャーズ
配給 ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画
レイティング 一般映画
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 ドルビー

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

戦後間もないシチリアの小さな村の映画館をめぐる人人の映画への愛を描く。エグゼキュティヴ・プロデューサーはミーノ・バルベラ、製作はフランコ・クリスタルディ、監督・脚本は本作品が日本での一般公開第一作になるジュゼッペ・トルナトーレ、撮影はブラスコ・ジュラート、音楽はエンニオ・モリコーネが担当。出演はフィリップ・ノワレ、ジャック・ペランほか。89年カンヌ映画祭審査員特別大賞受賞。後に170分の「完全オリジナル版」がビデオグラムで発表されている。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

現在のローマ。夜遅く帰宅した映画監督のサルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(ジャック・ペラン)は、留守中に母(プペラ・マッジョ)からアルフレードが死んだという電話がかかっていたことを知らされる。その名を耳にした途端、サルヴァトーレの脳裏には、シチリアのジャンカルド村での少年時代の思い出が甦るのだった--。当時、母マリア(アントネラ・アッティーリ)と妹の三人暮らしだったサルヴァトーレ(サルヴァトーレ・カシオ)はトトと呼ばれ、母親に頼まれた買物の金で映画を観るほどの映画好きだった。そんなトトを魅了していたのは映画館パラダイス座の映写室であり、また映写技師のアルフレード(フィリップ・ノワレ)たった。パラダイス座には司祭(レオポルド・トリエステ)の検閲があり、そのせいで村の人々はこれまで映画のキス・シーンを見たことがなかった。トトはいつも映写室に入り込む機会を窺っていたが、アルフレードは彼を追い返そうとする。が、そのうち2人の間には不思議な友情の絆が結ばれてゆき、トトは映写室でカットされたフィルムを宝物にして集めるのだった。しかしある日、フィルムに火がつき、パラダイス座は瞬く間に燃え尽きてしまう。そしてトトの懸命の救出にもかかわらず、アルフレードは火傷が原因で失明してしまうのだった。やがてパラダイス座は再建され、アルフレードに代わってトトが映写技師になった。もはや検閲もなく、フィルムも不燃性になっていた。青年に成長したトト(マリオ・レオナルディ)は、銀行家の娘エレナ(アニェーゼ・ナーノ)に恋をし、やがて愛を成就させ幸せなひと夏を過ごすが、彼女の父親は2人の恋愛を認めようとせずパレルモに引っ越しし、トトは兵役についた。除隊後村に戻ってきたトトの前にエレナが2度と姿を現わすことはなかった。アルフレードに勧められ、トトが故郷の町を離れて30年の月日が経っていた。アルフレードの葬儀に出席するためにジャンカルド村に戻ってきたトトは、駐車場に姿を変えようとしている荒れ果てたパラダイス座で物思いに耽るのだった。試写室でアルフレードの形見のフィルムを見つめるサルヴァトーレの瞳に、いつしか涙があふれ出す。それは検閲でカットされたキス・シーンのフィルムを繋げたものであった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2018年12月下旬号

巻頭特集 キネマ旬報創刊100年特別企画 第2弾 1980年代外国映画ベスト・テン:ベスト20グラビア開設

2010年11月上旬号

午前十時の映画祭:「ニュー・シネマ・パラダイス」「映画に愛をこめて アメリカの夜」

1990年7月下旬号

ルポ:「ニュー・シネマ・パラダイス」の映写シーンについて

1990年1月上旬号

外国映画紹介:ニュー・シネマ・パラダイス

1989年12月下旬号

外国映画批評:ニュー・シネマ・パラダイス

1989年12月上旬号

グラビア:ニュー・シネマ・パラダイス

特集 ニュー・シネマ・パラダイス:評論

特集 ニュー・シネマ・パラダイス:トルナトーレ監督論

2026/10/12

2026/10/12

80点

購入 
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映画は音楽とともに記憶される

ネタバレ

1988年公開のジュゼッペ・トルナトーレ脚本・監督「ニュー・シネマ・パラダイス」を演奏会の曲目解説を書くために見直しました。

言うまでも無く本作は、シチリア島の古い映画館を舞台にしたトトとアルフレード(フィリップ・ノワレ)の年齢を超えた友情の物語で、映画ファンなら涙無くしては見られない感動作でした。
音楽を担当したのはイタリア映画音楽の巨匠中の巨匠、エンニオ・モリコーネとその息子アンドレア・モリコーネで、つくづく「映画は音楽とともに記憶される」という名言の通りだと実感します。

映画館が舞台なだけに、上映作品として古い名作が短くたくさん登場し、それもお楽しみでした。イタリア映画などは分からないのですが、ざっと紹介すると「どん底」「駅馬車」「揺れる大地」「チャップリンの拳闘」「郵便配達は二度ベルを鳴らす」「ジキル博士とハイド氏」「ユリシーズ」「素直な悪女」「さすらい」などなど、これらの名作をチラ見できるだけでも楽しめましたし、火事になる前の映写室には「風と共に去りぬ」のポスター、バスター・キートンやディズニーアニメ「白雪姫」の写真が貼ってありました。

また、キスシーンになると神父がその場面をカットさせ、観客からブーイングが起こるお決まりのシーンもいかにもイタリアらしく楽しい場面でした。

映画としては「パラダイス座」の映写室をめぐるエピソードが抜群に面白く、完全版のトトと初恋の相手エレナ(大人のエレナ役はブリジット・フォッセー!)のほろ苦い物語は蛇足のようにさえ思えてしまう。

2025/12/20

2026/06/09

80点

映画館/千葉県/TOHOシネマズ市原 
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映画館で映画を観ることの歓び

私が子供のころ、テレビの洋画番組でラブシーンを観るのは密かな楽しみだった。
1940〜50年代のシチリアの小さな村、唯一の娯楽施設である映画館〝シネマ・パラダイス〟では、管理者の司祭が検閲をし、ラブシーンは徹底的にカットされていた。
映画館には大人も子供も一緒にいて楽しんでいる。観客はラブシーンがカットされた場面で大ブーイングだ。
10歳のトトことサルヴァトーレ(サルヴァトーレ・カシオ)は小遣いをもらって司祭の手伝いをしていたから、司祭ひとりだけの試写をいつも覗き見していた。また、映写室に入り浸って映写技師のアルフレード(フィリップ・ノワレ)に邪魔扱いされながらも、フィルムをカットする仕事を見物していた。
だからトトはカットされるラブシーンを観ていたのだ。
カットしたフィルムは後で元通りに繋ぎ直すのだが、結局元の位置が分からなくなって戻せないフィルムがドラム缶に山になっている。
これがラストシーンの布石になっていて、この結末を若い頃にはニヤリとするオチだと思ったけれど、いま観るとなんともじんわりと沁みてくるエンディングなのだ。

フィルムに引火して火事が起き、アルフレードは火傷で視力を失い、劇場は丸焼けとなった。
サッカーくじで大当りを出した男がオーナーとなって〝新・シネマ・パラダイス〟が新装開業し、村で映写機が扱える唯一の人となった10歳のトトが映写技師を務めることになる。
日本では映写技師は国家資格(免許)を持つ職業だった。デジタル化された現在は免許が必要な仕事ではないだろうと思ってチラと調べてみたら、なんと1962年に免制許は廃止されていた。私が生まれた年だ。なのに私は映写技師は国家資格だとずっと思い込んでいた…。
本作劇中にアルフレードが新素材の燃えないフィルムに感心する場面があるとおり、可燃性フィルムがなくなったことが免許制廃止の理由だ。

青年になったサルヴァトーレ(マルコ・レオナルディ)は恋をする。
一目惚れの相手エレナ(アニェーゼ・ナーノ)との恋は実るが、やがてエレナは父親と共に転居し、サルヴァトーレは徴兵で軍隊に入る。
兵役を終えたサルヴァトーレは村に戻るが、そこにエレナはいない。
アルフレードがしきりにサルヴァトーレに村を出ることを勧める。村を出たら二度と戻るなとまで言うのが、若い頃の自分は理解できなかった。
自分がアルフレードの歳に近づいて、この気持ちが理解できてきた。
若者は外の世界に羽ばたいていかねばならない。
田舎の小さな村にくすぶっていてはいけない。
だが、生半可な気持ちでただ故郷を出ただけでは大成しない。故郷は捨てて、退路を断つことこそ必要なのだ。
アルフレードは自分ができなかったことをサルヴァトーレに託したのだ。それはアルフレード自身も忘れ去られる対象だと知っていながら。

30年の歳月が過ぎ、サルヴァトーレ(ジャック・ペラン)は映画監督となって成功していた。
アルフレードの訃報を受けて30年ぶりに母が住む村に戻ったサルヴァトーレは、廃墟と化した〝新・シネマ・パラダイス〟に愕然とする。
ビデオで映画が観られるようになり、一館しかなかった映画館はその役目を終えていたのだ。
サルヴァトーレは、年老いたかつての映画館のオーナーが自分に敬語を使うことに寂しさを感じただろう。村人たちから見ると、自分はもう少年トトではなく誰もが敬う名士なのだ。
この村に、大人も子供も一緒になってまばゆいばかりのアメリカ映画を観る場所はもうない。

この映画は、映画館で映画を観ることが人間に歓びをもたらすのだと改めて教えくれる。
むかし大林宣彦氏が「映画館のマナー告知が嫌いだ」と仰っていた。映画はみんなでワイワイ言いながら楽しむものだ、と。
照明を落とした暗がりではスクリーンだけが光を放つ。
それぞれのバックボーンなど知る由もない見知らぬ人々がその暗がりに集い、同じ映画を観る。
誰も笑わない場面で一人だけ声を出して笑った男、ラブシーンでモゾモゾと身体を揺らしていた少年、悲しい場面でこれでもかと鼻をすすった女性、シンミリとした場面で大きなクシャミをして雰囲気を壊してくれたオジサン、後ろの席のオバサンは独り言のようにボソボソ何かを呟きながら観ていた…そんな感性も異なる人たちが、確かに同じ1本の映画を観ている時間。
その至高の時間を与えてくれたのが映画館だった。

この映画のイタリア公開オリジナル版は、サルヴァトーレの現在にもっとスポットが当てられていて、中年のエレナが登場する。
日本で公開された国際版はその辺りを大幅に改編して、少年期・青年期に重心を置いたことでノスタルジー溢れる傑作となった。
封切りは「シネスイッチ銀座」の単館で、劇場前には長蛇の列ができた。
その前年(だったと思う)、『ベルリン・天使の詩』が渋谷の「ル・シネマ」で封切られ異例のロング・ラン興行となったばかりで、ミニシアターブームの真っ最中だった。
ブームだったとはいえ、『ニュー・シネマ・パラダイス』の興行実績は単館興行の記録を樹立し、今も破られていないのではないか(たぶん)。
本作の劇中でも〝シネマ・パラダイス〟に入りきれない観客が外に溢れている場面が描かれている。
皆、映画館で映画を見ることが無類の楽しみだったのだ。
シネコン全盛、全席指定・入替え制が常識の今、映画館に長蛇の列という風景こそ、ノスタルジーの極みかもしれない。

2026/04/26

2026/04/26

80点

テレビ/有料放送/WOWOW 
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久しぶりに鑑賞。あまりにセンチメンタル、

曲もストーリーも演出もあまりにセンチメンタル。でもとてもいい映画。

2026/03/01

2026/03/15

95点

テレビ/無料放送/NHK BS 
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映画愛

2度目の鑑賞であるが、私の生涯ベスト3に入る作品です。あの広場の壁に映写するシーンは忘れられない。
それと映画内で上映されるモノクロの古い作品、映写室の壁のポスター、そして何よりもあのエンニオ・モリコーネの主題曲、たまりません。
改めて鑑賞して主人公トト・サルヴァトーレが映画の師アルフレードの葬儀に参列するためローマから故郷に帰って来た時から思い出の少年時代・青年時代に遡る三時代を描いた。
少年時代(サルヴァトーレ・カシオ)、映画好きの少年は映画館Cinema Paradaisoへ潜り込み、映写室でアルフレード(フィリップ・ノワレ)の映写も見ながらカットされたフィルムの屑を集めるのが楽しみだった。当時はトトの父親がロシア戦線に行ったまま(後戦死)のことから第二次世界大戦末期の1940年代だったのでしょう。
まだ映像の中のキスシーンも地元の司祭の権限で上映カットとなるようで、こんなカットフィルムがたくさん出る。(これが最後に活躍する)
当時の映写フィルムはセルロイドで非常に燃えやすい。フィルムが止まると映写機の熱ですぐ燃え上がる。上映中に画面が壊れる現象は私も経験したことがある。
ある時このフィルム火災から劇場の火災へ広がり、劇場も崩壊してしまう。この時にアルフレードは全身やけどを多い、目もやられ失明してしまう。
それから時は経ち、1954年トトも青年(マリオ・レオナルディ)(恋人のエレナが大学受験と言っていたから10代後半でしょう)、再建されたNouvo Cinema Paradiso(題名のニュー・シネマ・パラダイス)でアルフレードの代わりに映写技師として働く。窓から見下ろし、一目ぼれした少女エレナ(アニエーゼ・ナーノ)をこっそり8mmで撮影するほどで夜な夜な彼女の家の窓下に行くが相手にされない。やがてエレナの方から寄り添って来たが、金持ちの父は赦さずパレルモへ引っ越してしまう。手紙を出せども返答なし、失意のもと兵役へ。
兵役から帰るが、アルフレードから「こんな田舎で過ごすな、ローマへ出て自分の新しい道を拓け。二度と帰って来るな」と。
それから30年、ローマで映画監督となったサルヴァトーレ(ジャック・ペラン)が葬儀へ参列。かつての劇場も観客の減少(ここもテレビとビデオのため)で朽ち果て更地にして駐車場になるとのこと。時代です。
遺族から託されたフィルム缶の中には、アルフレードによってカットされたフィルムをつないだ映像作品だった。最大の感動場面でした。サルヴァトーレが撮影したエレナの映像の後には、カットされたキスシーンの連続。川本三郎さんなら何本くらい作品名が分かるのでしょうか?
追①舞台となった場所はシチリア島の山の中の街パラッツオ・アドリアーノで映画の劇場は当然セットであるが、現地にはこの映画のためのミュージアムがあるようです。
追②エンニオ・モリコーネが本映画の音楽を担当した経緯は、本映画の監督ジョゼッペ・トルナトーレのドキュメンタリー作品「モリコーネ 映画が恋した音楽家」(2021)に描かれていました。

2026/03/13

2026/03/14

65点

その他/会社の映画同好会 
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くどいほどの映画愛と、アルフレードの心眼

ネタバレ

オリジナル版の3時間を見て、くどいほどに素晴らしい映画だった。くどさの軸は4つ。

1、くどいほどの名作映画。
2、くどいほどのキスシーン。
3、くどいほどのモリコーネ。
そして、
4、くどいほどの十字架。

カトリックの教会で、司教が試写会でキスシーンをカットする。これは検閲だ。検閲されたフィルムを上映技士のアルフレードが取っておいて、それをラストでトトが見るという感動的なオチが待っている。

この映画自体も日本などでヒットしたのは短縮版で、オリジナル版とはずいぶん印象が違う。特にエレナとの再会シーンは、映画を全く別次元の(トルナトーレ自身の)個人的な世界へと向かわせる。

映画という公共性と、戦時中これを検閲する教会。スクリーンを見て大喜びする観客、これは道を間違えるとプロパガンダとなって暴徒と化す。昨今のネットを使った選挙戦がこれだ。

この映画の大きな魅力は、映画を堪能する人々の興奮と笑顔。大人が泣いて子どもがつまらなそうに見ているシーンは特に笑える。映画の捉え方はそれぞれだ。ただ、ヴィダーの「群衆」でも示す通り、市井の人たちがこの「群衆」に巻き込まれてゆくもので、個人が群衆に飲み込まれる構造が常に存在することを忘れてはなるまい。

冒頭、海の見える美しいシーンから母親がアルフレードの死をトトに伝える。思えば、失明したアルフレードの恐るべき心眼を目にする映画だ。彼は学がなく、トトにカンニングを強要するような男。しかし彼の心眼はトトに「この街に戻るな」と諭し、エレナにも「トトを諦めろ」と伝える。冷静に考えれば、トトとエレナがあのとき結ばれていたら、トトの成功はなかったかもしれない。アルフレードは未来を見ていたのだ。

この映画に敵はいない。サッカーくじが当たった映画館主や、2階席からつばを吐くブルジョアや、広場を自分のものと主張する浮浪者など、個性のある人物は登場するが、彼らは敵ではない。この街を離れられない貧しき人々なのだ。

この街の人々は、映画に笑い、泣き、怒り、そしてまた明日を生きていく。だがその興奮も、やがてスクリーンが消えれば群衆の記憶へと溶けてゆく。それでも映画は残る。アルフレードが遺した、あのくどいほどのキスシーンのように。

2026/03/03

2026/03/03

-点

テレビ/無料放送/NHK BS 
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レストア版

デジタルでレストアされたものは、なんだか画面が明るく綺麗過ぎて、戦後すぐのイタリアの片田舎の雰囲気に欠ける。