『トップガン マーヴェリック』のあまりの素晴らしさで感動した勢いで、いまから70年前のジェット機を見てみたくなったが、同じジェット機の映画でも時代に合わせて視点がまるで異なることにうなる。この映画は、ジェット機の映画ではなく、家族の映画だっただのだ。
特は1950年代。
第二次世界大戦で世界が大きく分断され、覇権がアメリカに移る過程で描かれたイギリス空軍の話しだ。中心となる人物が移り変わるので、視点が次々に変化する。最初に印象的なシーンから始まる。大きな入道雲を捉えたカメラがパンすると、ドイツ軍の墜落した飛行機が映される。アイルランドあたりだろうか。美しい風景でしばしくつろぐ兵士たちが見上げる空にプロペラ飛行機が飛んでいる。これらの美しいシーンはきっと当時の映画館で観客を魅了したことだろう。空への憧れは誰にでもある。鳥になりたいという感情とおもちゃのようなプロペラ飛行機の対比が見事。パイロットのフィルが興奮しながら飛行機を直滑降させるシーンは、ラストで彼がマッハ(音速)を超える瞬間へと繋がってゆく。『トップガン マーベリック』でも描かれたリアルな操縦席の臨場感を、この映画でもまた70年以上も前に再現しているのがすごい。デヴィッド・リーンの力技だ。
ここからパイロット仲間のフィル友人トニーの話題にシフトしてゆく。彼がプロポーズするスーザンの父親は大富豪で、ジェット機を作る会社の社長だ。この強欲な男ジョンと娘のスーザンとの関係が最後まで展開するのだが、戦後間もないこの時期に、さらなる科学の進化を求め夢を貪る父親の存在が娘にのしかかる。何しろこの父親は、自分の息子をパイロットにさせるためプレッシャーをかけて墜落死させ、娘婿のパイロットまでもジェット機に乗せてテスト飛行させた上、墜落させてしまう。彼の欲望のために2人の尊い命が失われることになる。夫がテスト飛行するのを見ていられず、劇場で映画を見ているスーザンに夫の死を伝えに来る友人のフィル。このシーンも素晴らしい。
ジェット機の開発と家族。この2つのジレンマに、彼らの周囲は翻弄されてゆく。結局娘婿トニーの友人フィルにマッハを超える使命が授けられる。彼は過去に操縦中に直滑降して意識を失いかけた経験を踏まえ操縦方法を変えればマッハを超えられると訴え、見事に音速の壁、サウンド・バリアーを突破する。
使命を達成した彼のもとに、そんなことに興味のない妻が子供の洋服のことで相談に来て立ち去ったあと、フィルが笑いながら泣き崩れるシーンは胸を掻きむしるほど感動する。夢のマッハを命がけて達成したのに、家族は喜んでくれない。何のために自分は空を飛ぶのか。何のために科学の進歩に追随するのか。そんな矛盾がこのワンシーンに凝縮されている。
かたやジェット機を製造する会社の社長を父にもつ娘のスーザンは、父親のことを軽蔑している。夫をテスト飛行で失い、お城のような家を出て、友人であるフィルの家族と暮らして、父親と距離を置く。父親は父親でなんとしても自分の夢を実現させるために必死だ。こうした父娘対立が最後に打ち解けあって終わるのは、娘が傲慢な父親が実は孤独だったことを理解したからだ。妻を失って仕事に専念する父親と、夫を失った娘が天体望遠鏡を除く星空の下で和解するシーンは、いかにも感動的だが実は皮肉めいたシーンをラストに残してデヴィッド・リーンはこの映画を終えている。望遠鏡の横には宇宙を目指す飛行機が飾られているのだ。人の命を奪って音速を超えた父親は、次なる野望を宇宙に求めている、という終わらせ方をしているのだ。人間のとどまらない欲望。
この矛盾を映画は粛々とした展開で見る側に敢えて矛盾を示す。自らもパイロットであったこの矛盾だらけの父親は、誰にも覚えのある存在だ。この強欲という科学のおかげで我々人類は様々な利益を享受してきた。70年前に果たして世界がこのように変化することをデヴィッド・リーンが予測していたかどうかはわかりかねるが、少なくとも人間的な矛盾を形に残そうとしたことは間違いない。
デヴィッド・リーンは、戦争を題材とした数々の大作で有名ではあるが、実は恋愛映画を描かせても素晴らしい傑作の数々を残している。中でも『旅情』は歴史に残る恋愛映画だ。この『超音ジェット機』でも、戦争やダイナミックな飛行シーンに目を奪われがちだが、男女の機微を描くシーンもまた素晴らしいのである。