小津安二郎の『浮草物語』を連想させる日・瑞の人生観の違い
原題"Gycklarnas afton"で、邦題の意。
年老いたサーカス団の座長(オーケ・グレンベルイ)が妻(アニカ・トレトウ)と息子のいる町に巡業で帰ってくる物語で、座長には若い曲馬師の愛人(ハリエット・アンデルソン)がいて、座長を引退して家に落ち着くかどうか、二人の間で迷うが、設定が小津安二郎の名作『浮草物語』(1934)を連想させる。
小津版では旅芸人一座は解散し、座長と愛人は浮草としての再出発を思わせて終わるが、ベルイマン版ではサーカス団は残るものの座長は自殺してしまう。
サーカス団の馬車の連なりを横からのロングショットでとらえる映像が印象的で、映像的にも凝っているが、浮草の生き方を消極的ながらも肯定する小津に対し、否定的に捉えるキリスト教的倫理観がベルイマンらしい。
座長は妻の許しを乞うて浮草をやめようとするが、自立の道を歩んできた妻はきっぱり拒絶する。
一方、曲馬師の愛人はそんな座長に不安を感じ、町で出会った劇団の看板俳優(ハッセ・エクマン)によろめく。
それを知った座長は俳優と決闘することになるが、敗れて身も心もズタズタとなり、絶望して人生を清算するために引き金を引く。
救いのある小津に対して、破滅的な結末が日本人と北欧人の人生観の違いを感じさせる。