太陽がいっぱい

たいようがいっぱい|Plein Soleil|Purple Noon

太陽がいっぱい

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レビューの数

136

平均評点

81.2(699人)

観たひと

1088

観たいひと

104

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル サスペンス・ミステリー
製作国 フランス イタリア
製作年 1960
公開年月日 1960/6/11
上映時間 118分
製作会社 ロベール・エ・レイモン・アキム・プロ=パニタリア
配給 新外映
レイティング 一般映画
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ルネ・クレマンの「海の壁」以来の映画。アラン・ドロンが“天使の顔をした悪人”を演じるサスペンス・ドラマ。英国の女流作家パトリシア・ハイスミスの探偵小説『才人リプレイ君』から、「二重の鍵」のポール・ジェゴフとクレマン自身が脚本・台詞を書いた。撮影も「二重の鍵」のアンリ・ドカエ。音楽は「戦争 はだかの兵隊」のニーノ・ロータ。出演はドロンのほか、新星マリー・ラフォレ、「死刑台のエレベーター」のモーリス・ロネら。製作ロベール・アキムとレイモン・アキム。4Kレストア版が2019年6月28日より公開(配給:KADOKAWA)。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

トム・リプレイ(アラン・ドロン)は貧乏なアメリカ青年だ。彼はナポリに、中学時代の友人で金持のドラ息子フィリップ(モーリス・ロネ)を、父親から五千ドルの約束で連れ戻しにきた。フィリップにはパリ生れのマルジェ(マリー・ラフォレ)という美しい婚約者がいた。ナポリから帰ると、フィリップの父から契約をやめる手紙が来ていた。フィリップが約束の手紙を出さなかったからだ。フィリップはトムを邪魔者扱いにしていた。友人のパーティーに向うヨットの上で、トムはますます彼からさげすまれた。裸でボートに放り出され、全身が火傷のように日焼けした。トムはフィリップに強い殺意を抱くようになった。まずマルジュとフィリップに大喧嘩をさせ、彼女が船から下ろすと、ついにフィリップを刺し殺した。死体はロープで縛り、海へ捨てた。陸へ上ると、彼はフィリップになりすました。ホテルに泊り、身分証明書を偽造し、サインを真似、声まで真似た。ヨットを売り払う交渉も、親元からの送金を引き出すこともうまくいった。ホテルにフィリップの叔母が訪ねてきたが、別の下宿に移って事なきを得た。しかし、新しい下宿にフィリップの友人が訪ねてきて、トムに対して疑惑をもったようだ。トムはその男を殺して死体を捨てた。やがて刑事が調べにきた。死体確認に友人たちが集った時、トムはマルジェにフィリップはモンシベロに戻ったと告げた。トムはその夜、モンジベロへ行き、遺書を書き、金をマルジェに残して、フィリップが自殺したようにみせかけた。そうして元のトムに戻った彼は、傷心のマルジェをいたわり、愛を告げた。彼女もついに彼を受け入れ、結婚の約束を交わした。全てがトムの思うままになったのだ。トムは幸福に酔って、浜辺に寝そべり、こうつぶやいた。「太陽がいっぱいだ」と・・・。しかしその時、フィリップのヨットが、引きあげられていた。スクリューにからまったロープの先からフィリップの死体が現われた。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2013年8月上旬号

UPCOMING 新作紹介:「太陽がいっぱい」

2010年5月上旬号

午前十時の映画祭:「天井桟敷の人々」「太陽がいっぱい」

1994年6月上旬号

グラビア:太陽がいっぱい

1963年3月下旬号

SB ニッポンの夜:30 太陽がいっぱいの北京曲技団

1960年7月下旬号

外国映画批評:太陽がいっぱい

1960年6月上旬号

ルネ・クレマンの新作「太陽がいっぱい」:

ルネ・クレマンの新作「太陽がいっぱい」:鮮やかなサスペンス・タッチ

外国映画紹介:太陽がいっぱい

2023/02/04

2023/02/04

81点

選択しない 
字幕


アラン=ドロンの代表作。思わず声を上げてしまうラストシーンの怖いことといったら!


冒頭のカフェでトムとフィリップの関係、フィリップがトムを便利屋のように使っていること、トムはフィリップの署名の偽造ができること、恋人マルジュを置いてイタリアに遊びに来ていて、知り合いはフレディしかいないこと、などが短いシーンの中で要領よく説明されます。その後、盲人をからかったり、バレエ教室を邪魔したりと、放蕩の限りをつくすフィリップと、トムに対して傍若無人にふるまうフィリップの様子が丹念に描かれます。こういう、トムに殺意が芽生える過程をじっくり描くことで、ストーリーにリアリティが加わってますね。とくに、小船に乗せて海に放り出す仕打ちは苛めそのもので、真っ赤に火傷したトムの背中を見れば、誰しも「これはひどい」と思わずにはいられないでしょう(^^;)

船上でフィリップを殺害し、異国であることをいいことにフィリップになりすますトム。パスポートの写真を張替え、サインもそっくりに書けるよう練習するなど、なかなかの知能犯ぶりです(^^;)

偶然、フィリップの知り合いとホテルの電話交換台ですれ違ったり、フレディが部屋を訪ねてきて、フィリップの服や靴を身につけているトムに不審の目をむけるあたりは見ていてハラハラドキドキ(^^;)

船のスクリューにからまったロープの先から、海に沈めたと思っていたフィリップの死体があがってくるラストシーンはまさに大どんでん返しといえる鮮やかなもので、ぐるぐるまきにされた中から手だけが見えているのが本当に怖いです(^^;)

よく考えられたストーリーだなあと思ったら、パトリシア=ハイスミスの原作でした。納得(^^;)それから、ニーノ=ロータの物悲しいメロディが繰り返し変奏されて効果的に使われています。それから、魚市場をうろつくシーンで、エイの顔がアップになった場面が妙に印象に残りました。

2023/01/28

2023/01/30

80点

VOD/U-NEXT 
字幕


「ぎらぎらする南イタリーの港町にたくましい青年の野望がいっぱいに躍動する!」

ルネ・クレマン監督の代表作でアラン・ドロンがスターになるきっかけになった作品らしい。
世代的に「太陽がいっぱい」といえば光GENJI。
まぁあの頃は映画タイトルを曲のタイトルにするのがあるあるだったので。

境遇の違いからの野心や嫉妬、もしかしたら恋愛感情。
トムとフィリップのやりとり、マルジュの扱い。
どこかでほころびがと思っていたがギリギリで回避していく。
そしてラストに最高の気分と宣う…

アラン・ドロン出演作品を何本か観てるが観やすさと内容でベストに近い。
アラン・ドロンが演じるからトムというキャラが活きている。

2023/01/28

2023/01/29

75点

選択しない 
字幕


マリー・ラフォレ

が全編ほぼ困った顔をしていて、とてもよいです。

以前初めて観たときにはオシャレ映画のように捉えた気がしますが、久しぶりに見直してみるとゴリゴリのサスペンス映画ですねこれ。

市場の魚、目がまるい乗用車、豪華クルーザー、ユーロ導入前のリラの札束、リゾート地でのたゆたう生活など、我が地の市井では見られないものがいろいろ見られて楽しい。映画って本っ当にいいものですね(R.I.P.晴郎)。

ニーノ・ロータのテーマは全編掛かりっぱなしなのかと思ったら相当抑えてあって、これもまたよい。

アランドロンの(役の上での)育ちの悪さが哀愁を増す。
ラスコーリニコフみたいな。

2023/01/26

2023/01/26

80点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 
字幕


マリー・ラフォレの美しいこと。彼女の美しさがこの企みの始まり。モーリス・ロネの気ままなこと。そして、アラン・ドロンの妖しいこと。ラストが粋なこと。ニーノ・ロータのテーマ曲が耳から離れない。

2022/07/09

2022/07/09

50点

テレビ/有料放送/スターチャンネル 
字幕-吹替


カラー版よりモノクロ版がいい

最近はテレビでもカラー版ばかり放送しますが、この映画のサスペンスな雰囲気はモノクロ版だとさらに際立ちます。
NHKではたまにモノクロ版やってくれます。

2022/07/02

2022/07/03

-点

映画館/東京都 
字幕


アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』

これまで何度見たかわからないくらい見ましたし、いろいろな人に薦めてきましたが薦めるに恥じない、自分にとっての名作です。もうこの作品、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』といってもいいのではないか?と思います。少なくとも日本においては大方そういう認識のされ方をしている。それだけ若きアラン・ドロンの美しさを余すところなく捉えています。

逆に彼の演じたキャラクター、トム・リプリーがシリーズで活躍する原作や原作者パトリシア・ハイスミスの魅力は後方に置かれてしまった感があります。でも、アルフレッド・ヒチコックをはじめ名だたる名監督が映画化を望む作家さんですから『太陽がいっぱい』は自身の作品群とは別物である完結作と見てくれているんじゃないかなと勝手に想像して納得しています(ラストも異なるし)。ハイスミスの偉大さは、彼女の苦悩と闘いの日々を描いた作品『キャロル』で深く理解することができますよね。
『太陽がいっぱい』の白眉は、原作と異なるラスト。警察が浜辺の店の給仕に「電話がかかってますと言って呼び出してくれ」というセリフとドロンの陶酔しきった表情の対比ですよね。

もう一つ。今、本作を見直してみるとリプリーの置かれてきた「貧困」という社会的不平等からいかにして這い上がるか?という見方もできると思いました。当時は、小説や映画の題材としては幾多ある中の一つだった訳ですが、現代のように格差や貧困が社会課題として大きくなった今にするとこれも貧困格差をテーマとしたジャンルの犯罪映画と見ることもできるのではないかと思います。

とはいえ自分なりの『太陽がいっぱい』の結論としては、ルネ・クレマンやニーノ・ロータの功績を認めた上ですが、これがドロンでなければ歴史的評価は変わってたかも知れないということでしょうか?それほどまでに本作は「ドロン映画」ということです。