フェリーニのアマルコルド

ふぇりーにのあまるこるど|Federico Fellini Amarcord|----

フェリーニのアマルコルド

amazon
レビューの数

42

平均評点

75.4(209人)

観たひと

307

観たいひと

55

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル 伝記 / ドラマ
製作国 イタリア フランス
製作年 1974
公開年月日 1974/11/16
上映時間
製作会社 FCプロ=PECF
配給 ワーナー・ブラザース
レイティング
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

一九三〇年代を舞台にフェデリコ・フェリーニ自身にとって生涯忘れ得ぬ一年間の物語。「アマルコルド」とはフェリーニの故郷である北部イタリアのリミニ地方の今はもう死語になっている言葉で“エム・エルコルド”(私は覚えている)という言葉がなまったもの。製作はフランコ・クリスタルディ、監督は「フェリーニのローマ」のフェデリコ・フェリーニ、脚本はフェリーニとトニーノ・グエッラ、撮影はジュゼッペ・ロトゥンノ、音楽はニーノ・ロータ、装置・衣裳はダニロ・ドナーテ、編集はルッジェーロ・マストロヤンニが各々の担当。出演はプペラ・マッジョ、マガリ・ノエル、アルマンド・ブランチャ、チッチョ・イングラッシア、ナンデーノ・オルフェイ、ルイジ・ロッシ、ブルーノ・ザニン、ジャンフィリッポー・カルカーノ、ジョジアーヌ・タンツィーリなど。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

“春一番”の吹いた日の夜、ここ北部イタリアの小さな港町では町中の人々が広場に集い、うず高く積み上げられたガラクタの上に冬の女神の人形をかかげて火をつけ、訪れる春を祝って歌い踊り、騒ぎ明かしていた。十五歳を迎える少年チッタ(B・ザニン)も彼の父(A・ブランチャ)も母(P・マッジョ)、おじいちゃん(G・ラニグロ)や弟たちと共に祭りに加わった。若者たちは媚をふりまく娘たちをひやかし、大人たちは酒をくみかわす。チッタの憧れの年上の娘グラデスカ(M・ノエル)もいる。何て素晴らしい夜なんだろう。そんな楽しい春を迎える祭りが終わるとやがて夏がやって来る。町中の人たちが数十隻の小船にのり込み小型船団を組むと海へと乗り出す。沖合を通るイタリアの豪華定期船レックス号の晴れの姿を一目見ようと、町長以下の総出で祝福の船団を組んだのだ。霧深い沖合いを煌々たる明りに彩られてやってきた巨大な船を見ると人々は歓声を上げた。レックス号の勇姿はイタリアの誇りであると同時に、この小さな港町の人々にとっても誇りなのである。また当時、イタリア全土にはムッソリーニのファシズム旋風が吹き荒れていたが、この町でも例外ではなかった。少しでも反抗的な言動でもとろうものなら、たちまちファシスト本部に連行され、拷問をうける。そんな世相とは関係なく、季節は変わり、秋になる。チッタの一家は、精神病院に入れられていたおじいちゃんを迎えに行くことになった。医者は大分よくなったというのだが、前を開けずに放尿したり、大きな木に登って“女が欲しい”と叫んだりして再び病院に連れ戻された。チッタはそれでも仕方ないと思う。病院を出たところで精神障害者のおじいちゃんの望みは叶うはずもないからだ。同時にチッタは何かわりきれないものを感じていた。人間の根本的な欲望は誰だって変わりはしないはずなのだ。一方、チッタのグラデスカに対する想いは日に日につのるばかりだ。映画館で思い切ってアプローチしてみたが、まだ子供と思われてか全然相手にされない。それどころか、白鯨のような巨大な体躯のタバコ屋のおばさん(M・A・ベリッツィ)に弄れてしまう。そして冬が来た。降り続いていた記録的な大雪がカラリと晴れあがった日、どこから逃げだして来たのか一匹の孔雀が雪の上に舞い降りると、まばゆいばかり見事なその羽根を開げてみせた。だがイタリアでは孔雀は不幸の前兆であると信じられていた。その冬、チッタの母は病気をこじらせてこの世を去った--。そしてチッタの悲しみもようやく癒えた頃、“春一番”の吹く野原では、町中の人々に祝福されてグラデスカの結婚式が行われた。彼は自分にとって最も大切な二人の女性を失った、生涯忘れ得ぬ一年だった。……誰もが一度は通らなくてはならないさまざまな人生の別れを体験しながら、少年チッタはやがて来る激動の青春期への旅立ちを、漠然とした意識の底にではあるが確実な手応えとして感じていた。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1975年2月下旬決算特別号

特別グラビア 外国映画ベスト・テン:フェリーニのアマルコルド/叫びとささやき/映画に愛をこめて アメリカの夜/スティング/ペーパー・ムーン/ブルジョワジーの秘かな愉しみ/ジーザス・クライスト・スーパースター/黒い砂漠/デリンジャー/エクソシスト

特別グラビア 読者のベスト・テン 外国映画:スティング/ペーパー・ムーン/映画に愛をこめて アメリカの夜/エクソシスト/叫びとささやき/フェリーニのアマルコルド/パピヨン/ジーザス・クライスト・スーパースター/燃えよドラゴン

1974年12月上旬号

映画批評:フェリーニのアマルコルド

映画批評:フェリーニのアマルコルド

1974年11月上旬号

グラビア:「フェリーニのアマルコルド」

「フェリーニのアマルコルド」って映画は僕らの映画ですよ・・・:池波正太郎×淀川長治 対談

分析採録:フェリーニのアマルコルド

1974年10月下旬号

外国映画紹介:フェリーニのアマルコルド

1974年10月上旬号

グラビア:「フェリーニのアマルコルド」

2020/08/02

2020/08/03

78点

映画館/東京都/YEBISU GARDEN CINEMA 
字幕


これは、最初に観たのがいつなのか記憶にないほど昔観た作品だけど、よく考えたら、フェリーニ作品を何度も名画座で観たのは「サテリコン」や「道」くらいでこれは1度しか観てないかもとか思いながらも、見覚えのあるシーンも懐かしかったりして、最近、昔の映画の再上映が多くて、その時の自分のことを思い出したり、名画座の様子を思い出したりと、そんな“シネマの記憶”を引き出しを開けたような心地よい映画の時間だっのはYEBISU GARDEN CINEMAの映画愛に溢れた空間だったこともあったからかも、満席で終わって拍手が響いたことにも感激。

ザンパーノとジェルソミーナの名前を思い出しただけで涙が出そうになってしまう「道」も今のうちに観てみたい。

2020/05/31

2020/06/03

80点

選択しない 


生命感に溢れた映像

ネタバレ

 自分にとってフェリーニ作品の中でももっとも親しみ安い作品のひとつ。それはシンプルにかつノスタルジックに自身の少年期の思い出を紡ぎ出しているからだと思う。ここではフェリーニ独特の退廃的な匂いも空気も薄く、すべてが明るく生き生きとしていて生命の謳歌で溢れている。
 春の訪れから始まって冬の到来、そしてまた春へという一年の四季を通じての人々の暮らしぶりが、コミカルかつエネルギッシュに描かれる。少年ティタの目を通して村の風物や自然、そしてそこで暮らす個性的な人々が活写されていく。群像劇の体裁になっている。
 ストーリーらしきものはなく、ただ断片的なエピソードが数珠繋ぎで繋がっていくだけ。敢えてストーリー的なものを見つけるとすればそれはフェリーニ自身と思われるティタの成長譚と言えるだろうか。
 年頃の少年たちが仕出かす悪戯や反抗がコミカルに描かれていく。男なら誰でも思い当たるであろう異性への憧れがノスタルジックな香りを載せて綴られる。
 ティタが密かに想いを寄せている村一番の美女グラディスカ、いつも一人で薄笑いを浮かべるちょっと頭の弱そうな娼婦ヴォルピーナ、タバコ屋の巨乳おばさん、そして鉄火だけど家族思いの母、などなどいずれの女性も魅力的にかつ愛情を込めて描かれている。
 時代らしくファシズムの波がこの小さな村にも及ぶ。父が拷問されるという悲惨な事件すら戯画的に見せる。ファシストたちの浮き上がった様子から、村の人にとっての政治への関心のなさ。それよりも生きることで精一杯な様子が際立つ。
 精神病らしい叔父の木登りエピソード、巨乳おばさんとの文字通りの乳繰り合い、村で行われるカーレースの熱気、海上に突然現れる豪華客船、一寸先も見えない濃霧に包まれる村、そして母の入院と死・・・様々な経験を通して少年は大人への階段を登っていく。
 トルナトーレ監督の「ニューシネマ・パラダイス」のノスタルジックな描写はこの映画から影響を受けているような気がする。ティタがグラディスカにちょっかいを出す映画館での微笑ましいシーンを見ていてそんな気がした。

2020/05/05

2020/05/06

100点

VOD 
字幕


家族の物語だ。

洗濯物が風に吹かれている場面から始まる。街に綿毛が吹いて春が来る。子供たちは綿毛を捕まえようと走り回り、大人たちは「もうすぐ春が来る」と明るい表情になる。
季節の変化に土地柄が出ていてセンス好き。

小さな台所で家族一緒にギュウギュウで食事をする場面、お父さんとお母さんはケンカするし、これがイタリアなのか!!
でも、お父さんは海岸でレンガ積みの家を建てていた親方のような?さらに隣の部屋にしゃれたテーブルと椅子が置いてあって、ここで食べればいいんじゃないの?
ちゃんと部屋があるのに便利だから台所ですませてしまう気持ちもよくわかる。

教会へ懺悔に行くにもお母さんに「自分は不良少年だというんだよ。罰当たりだってことも全部だよ」と大きな声で送り出される。司教は、教会の職員の仕事ぶりを注意しに懺悔を中断したりしながら型どおりに進める。自分はグラディスカのこととかいろいろ思い浮かべてから、司教に良しといってもらえるような懺悔をした。
いかにも懺悔が生活に馴染んでいて面白―い。

霧が濃い朝、方向がわからなくなったおじいさんは死を連想する。「死とはこんなもんかな。ぞっとする。すべて消えて人間も家も鳥もワインさえもない世界」
監督にとって世界を構成するものを並べているの?

入院しているお母さんのお見舞いの場面は最初の方の食事の場面と対になっている。食事の賑やかさがあるので、この家族はどんな状況でも一緒に労わりあいながら過ごしていることがはっきりする。お母さんは入院していても息子と父親の関係を心配している。私は、お母さんがいつも家族のことを思いやっていたことを思い出した。夫と叱られる息子との間に入って取りなしていた。息子の看病も。尋問されてフラフラ返ってきた夫をお風呂に入れて温めた。

お母さんがいなくなって沈む家から海岸に出かけてみると、綿毛が舞っている。寂しけれど季節は移っていくのだ。そしてグラディスカの結婚披露宴。

家族の行事がメランコリックに少しユーモラスな音楽とあわせて印象的に描かれている。音楽は楽器の合奏だけでなく、ファシズムが横行していても夜の街のバックは郷愁を誘うギター演奏で、人々の営みにあっている。グラディスカの結婚披露宴もギターと途中からアコーディオンが加わった◎

冒頭の洗濯を干している場面は、道の最後の方、サンパノがジェルノミーナの死を知った街の風景を思い出した。洗濯を干している風景は、生きている証なのかもしれない。

2020/04/18

2020/04/20

60点

VOD/U-NEXT 
字幕


「フェリーニの原風景が詰め込まれた、この巨匠のもっとも愛すべき逸品。」

フェリーニの自伝的作品。
一年間の様々なエピソードを二時間ちょいでみせる。
この手の作品は好き嫌いがわかれそうである。

全ての出来事が最終的に集約して盛り上がりをみせるってわけでもなく淡々と終わる。
それでいいんだけどそれでは物足りないって人もいるだろうなって感じた。

自分的には好きでも嫌いでもない。
フェリーニ作品の中では観やすい部類に入る作品だと思う。

2020/04/05

2020/04/05

77点

VOD/Amazonプライム・ビデオ/レンタル/PC 
字幕


 フェリーニの映画の中で一番好きかも

この作品ってほかと違いますね、ジャケットがビートルズのサージェントペパーズみたいで。一方、映像の雰囲気は、いつもみたいな貴族の館じゃないしマルチェロ・マストロヤンニも出てこない。ニュー・シネマ・パラダイスみたいな、市井の人たちの町だ。いや、エミール・クストリッツァのほうが近いか。演技する動物が出てこないだけで。粗雑で祝祭の人々、ときどきファシズム。

綿毛が街を埋め尽くす春。枯れ木を積み上げた上に”魔女”を載せて、燃やしながらみんなでそれを取り囲む。(「バーニングマン」の原型?)これってちょっと怖いですね…

フェリーニ少年のイメージが重なるチッタ少年は、15も年上のケバくてゴージャスでグラマーな美人のとりこです。マルチェロ・マストロヤンニが追いかけては絶望するグラマー美人の原型だ。

フェリーニの映画はいつだって、豪華だけど居心地が悪い、自分がいたい場所じゃない、という落ち着かなさがあったけど、ここがふるさとだったんじゃないか。どうして一番大事なものの映画を撮らずにきたんだろう。虚飾の館にいつづけなくても良かったのに。母と愛する女性を失ったショックが大きすぎて、孔雀の呪いが怖くて、帰れなかったのかな。

 フェリーニの映画の中で一番これが好きかもしれません。

2020/01/07

2020/01/07

65点

レンタル 
字幕


フェリーニは「道」が素晴らし過ぎたので何本か頑張って観ているのだけど、どうにも合わない。「甘い生活」や「8 1/2」のような狂騒。地方都市のそれなりの生活・日々の出来事を切り取った小市民の日常の活写。生活賛歌人間賛歌な映画なのだろうが、ストーリーを重視したい身としては言葉を選ばないと「だから?」ってなってしまう。この軸・この人で見ればいいという顔になる人が多すぎるんだよな。この行き遅れの婦人で見ればいいのだろうけど。