律義なリズムが刻まれている.全編のショットは850ほどであるが,ほぼまんべんなく散りばめられており,一定のリズムで作品の時間は進められていく.
ここに再現されている物語がどのようなものであるかは正確に言い当てることはできない.ただ,映っているものがあり,10-20人ほどの人物たちが劇中で1年ほどの時間を過ごしているらしい.主人公のような若い男性もいる.彼には家族がある.それは核家族でもない.祖父もいて,兄弟もいて,おじおばらしき姿も食卓にみえている.父は癇癪をもっていて,母は父が騒ぎ出すと,家族全員を「殺す」と脅してくる.
学校には各教科に個性的な先生たちがいる.その授業の質は高いようでもあるが,学生たちはあまり関心をもっていない.学校あるあるのようなこれらのシーンには,それでも先生たちへの愛情が感じられる.それは先生たちが注いだ生徒らへの愛情とつり合うものなのかもしれない.
街には,広場があり,映画館がある.やや離れて海辺があり,海へと船団が出発することがある.綿毛がこの街に舞う場面ではじまり,広場では高く積み上げられた薪の上で,魔女の人形が炎を上げて焼かれる.「冬の死」と呼ばれ,季節の行事らしく,春が儀式的に迎えられる,あるいは人工的に季節を運行している.この広場は,猛スピードでオートバイが走り抜けることもあるが,自動車レースも行われ,それらのスピードと街の熱狂は,この街の時間をやや早送りさせているようにも感じられる.後半,広場には雪が降り,降り積もるどころか,前回はいつだろうと思われる積雪を観測する.雪投げが行われ,雪の回廊からは,グラディシカと呼ばれる女性が雪の上に顔をだしている.彼女の尻が雪で狙われる.悪童たちは,女性の尻に関心がある.尻へのショットがいくつか連発される.また,尻からは屁が何発も打ち出される.立小便があり,教室でも尿が漏らされる.自慰の場面があり,悪童たちは車を揺らすほどこいている.こうした集団的な不思議な揺れは,教室の振り子の授業でも横揺れとして起こったり,映画館の客席でも揺れている.ファシストたちも広場に現れ,インターナショナルの歌声が聞こえると鐘楼に向かって発砲され,鐘が落下してくる.
冒頭の綿毛もそうであるが,街の人々の視線がこのようにして上を向くことがある.主人公らしきチッタの家族は馬車に乗って郊外に出かける.別のおじが帯同していて,彼も尿を漏らすが,彼は木の上に登り,「女」を叫んでいる.木にはしごをかけ,彼を下ろそうとする家族たちは,頭に石を落とされる.ここにも落下や上を向く視線が記録されている.
スズメが飛来し,孔雀も広場に舞い降りる.犬がそこらじゅうにいて,濃い霧の中で牛に出会うこともある.豚もいて,風も吹く.ホテルにはアラビアンな浴槽が配置されており,広場の噴水ともイメージが連動している.街には消灯があり,点灯もある.そして,フルートやアコーディオンが奏でられ,雑音も合わせて様々な音や声が広場には舞い込んでいる.