花のようなエレ

はなのようなえれ|Helle|----

花のようなエレ

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レビューの数

4

平均評点

63.5(11人)

観たひと

21

観たいひと

3

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ラブロマンス
製作国 フランス
製作年 1972
公開年月日 1973/5/19
上映時間
製作会社 フィルムソノール・マルソー・プロ
配給 日本ヘラルド映画
レイティング
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

南アルプスのオート・サボアに帰省した十七歳の少年ファブリスと、ギリシャ神話の女神と同じ名をもつ精神薄弱の美少女エレの恋を描く。製作はミシェル・ゼーメ、監督は「課外教授」のロジェ・ヴァディム、ヴァディム自身の小説をジャン・マイラントとモニーク・ランジュが共同脚色、撮影はクロード・ルノワール、音楽はフィリップ・サルドが各々担当。出演はグエン・ウェルズ、ディディエ・オードパン、ブルーノ・プラダル、マリア・モーバン、ジャン・クロード・ブイヨン、ロベール・オッセン、マリア・シュナイダーなど。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

一九五一年、夏。眼の前にはモンブランの頂き、シャモニーの威容が間近に望むことができる南フランス、オート・サボワ。母のもとで楽しい夏季休暇を過ごすべくやってきた十七歳の少年ファブリス(D・オードパン)が、大きなカバンを下げて汽車から降りた。駅には車が出迎え、母エレーヌ(M・モーバン)と、母の友達だというフランソワ(J・C・ブイヨン)が乗っていた。一行は帰りがげに、酒場からファブリスの兄ジュリアン(B・プラダル)を乗せた。ジュリアンはインドシナ戦争のおちぶれた英雄。自ら志願した戦場だったが、失えるものをすべて失いその上、病だけを得て帰還し、もはやいやすべくもない心と体をもてあましていた。そんな兄と囲む食卓はおせじにも楽しいものとはいえなかった。ジュリアンは対独協力をした父をいまも許さず、さらに、母の友人と称してわがもの願で母の車を乗り廻すフランソワも許せなかった。翌日から彼は、雄大な美しいアルプスの自然の中を歩き廻った。そんな中で彼は、森のはずれにあるクレベール(R・オッセン)という男の家に住むエレ(G・ウェルズ)と偶然出会った。やがてエレが口もきけず耳も聞こえないこと、そしてエレというギリシャ神話の女神の名をもつことを知った。渓流で魚をとったり花をつんだりして楽しい一時を過ごす二人は、今まで経験したことのない心の通じあいを感じていた。数日後、ファブリスはエレを伴って山小屋にこもった。そこで偶然目撃してしまった母の情事は彼の心を傷つけ、ファブリスの心の寄り所は、もはや天使のように無邪気なエレだけだった。エレも彼に愛を感じ始めていた。ファブリスはエレに言葉を教え、ゲームを教えた。その楽しい時の流れを突然現われたジュリアンが破った。ジュリアンは、エレが何人もの山の男たちのなぐさみものになっていること、善悪の区別のつかないエレは、そのことを何とも思っていないことなどを露悪的に語った。ファブリスは、エレに対する冒とくを許すことができず兄に殴りかかった。山をおりた彼は、草原に倒れている母を見つけた。息子のように年若い恋人フランソワに捨てられた母の哀しみが、ファブリスの憎しみを消した。彼は優しく母を助け起こした。その頃、ジュリアンは滝に身を投じて自殺を計った。この世の醜悪さを呪う気力だけで生きてきた彼も、その醜悪さが他ならぬ自分自身であることを知った瞬間に、この世に訣別を告げた。別離はファブリスとエレの間にもやってきた。エレは、母の肩を抱きながら去っていくファブリスの後姿を見ながら、意を決したように反対の方向に引きかえしていった。今までのエレなら、どこまでもファブリスについていっただろう。エレは愛するという感情を知り、その哀しみも同時に知ってしまったのだ。ファブリスとエレの、短かかったが神話のようにひたすらやさしく美しい季節が、いま終ろうとしていた。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1973年6月下旬号

「花のようなエレ」ロジェー・ヴァディムの官能耽美遍歴の一極点:

1973年5月下旬号

外国映画紹介:花のようなエレ

1973年4月上旬春の特別号

グラビア:ロジェ・ヴァディム 花のようなエレ

至純の女性讃仰映画/ヴァディムの「花のようなエレ」:

「花のようなエレ」と官能の映画作家ロジェ・ヴァディム:

シナリオ:花のようなエレ

2016/08/29

2016/08/29

75点

レンタル/埼玉県/TSUTAYA/WonderGoo TSUTAYA 越谷店/DVD 
字幕


2回目。より深く解ったが・・・。

 無音、効果音がもたらすエルの内面表現は、ある程度解ったが、テーマ曲と効果音が混在するシーンもあり、必ずしも解りやすくない。
 ラストの教会のエレの表情は、2回目でもよく解らず。再びケイトさんの解説を読む。なるほど。

  クロード・ルノワールの撮影は素晴らしい。堪能出来る。
晩年、ヴァディムが監督した「ナイトゲーム」「可愛い悪女」は、アメリカナイズされた冴えない作品であった。
  それにひきかえ、本作はフランス映画の魅力を満喫出来る作品と言える。山岳風景も含めた自然描写が美しい。

2016/08/17

2016/08/17

70点

レンタル/埼玉県/TSUTAYA/WonderGoo TSUTAYA 越谷店/DVD 
字幕


ヴァディムの自伝か・・・。 

 1951年という設定。ヴァディムの自伝だとすると、彼が23才の時の事となる。
 物語に暗い影を落とすのは、インドシナ戦争(1946~1954)である。「シベールの日曜日」もそうであったか。
   また本作とは直接関係ないが、アルジェリア戦争は1954年から、1962年のこと。これは「アルジェの戦い」や「ジャッカルの日」「シェルブールの雨傘」で、取り上げられている。
 第2次大戦で、とりあえず戦勝国になった国の愚かさか、その後の『大国フランス』とも思えぬ、暗い歴史だ。フランスにとって終戦は1945年ではなく、1962年だったという事なのか。
   映画は、ろうあ者のエレと青年の交流を描くが、正直、後半はイライラした。登場人物の意味の解らぬ、勝手な行動が多い。
 主人公の青年の母親の描写も多く、このあたりヴァディムはマザコンかと思った。
  ラストのさりげない別れも、そのあとの教会のエレの行動も、私にはよく解からなかった。「道」のジェルソミーナの線を狙ったのだろうか、ヴァディムの柄でもないと思うが。
  時々「無音」になる演出は、ケイトさんのレビューで初めて解った。そんな高等演出?をヴァディムがやるとは・・・。
  映画ってオクが深いな。
    「血とバラ」が大好きなので、ヴァディムは全部見たいのだが、本作あたりのレベルは正直つらい。
    「危険な関係」「バーバレラ」「世にも怪奇な物語」あたりの艶っぽさが欲しい。

撮影のクロード・ルノワールの経歴を改めて見たが、驚いた。
    20才を過ぎてすぐに叔父のジャン・ルノワールの「トニ」「ピクニック」に携わり、ヴァディムとは5本、さらには「フレンチ・コネクション2」「007私を愛したスパイ」と続き、映画史そのものだ。
 

2010年

2016/08/03

90点

レンタル 


フィリップ・サドルのリリカルで美しすぎる音楽

1951年夏。南アルプスの美しい村オート・サポワ。17歳の少年ファブリス(ディディエ・オードパン)は母親と休暇を過ごすために帰省してきた。しかし、母エレーヌ(マリー・モーバン)は年下の若い男(ジャン・クロード・ブイヨン)と情事にふけり、インドシナ戦争から帰還した兄ジュリアン(ブルーノ・プラダル)は酒浸りになっていた。

そんなある日、雄大なアルプスの自然の中を散歩していたファブリスは、エレ(グウェン・ウェルズ)という少女と出会う。エレは、耳も聞こえず、口をきくこともできない無垢な少女で、多くの村の男に欲されるまま身をまかせてきた。ファブリスはエレの純真な美しさに惹かれてゆく…。

クロード・ルノワール(ジャン・ルノワール監督の甥)のカメラが写し撮る、南仏の山村の風景描写や、エレの無垢な美しさ、室内のテーブルの上の花や食器や食品に至るまで、溜息が出るほど素晴らしい映像美です。

そしてこの作品で特異なのは、エレの目を通した主観ショットが随所に挿入されていることです。聾唖で精神薄弱のエレ…。彼女がひたすら見つめる花や虫や滝の水…。彼女の目に映る村の男たち。そしてファブリス…。

エレの主観の場面では、音声が途切れ、音楽は遠のき、無音か、もやもやした外界と遮断された独特の効果音が流れます。そして、フと音声が戻り、客観的な描写に戻る(1ショットのまま、音声の変化だけで主観→客観に戻るところもあります)。例えば、序盤で山道を歩くエレが、近づいてきた村の男に抱きつかれ愛撫される場面は全くの無音で(これがエレの主観。男たちのすることに対して無感情なのだと思います)、この男に仲間の男がかける声で音声が戻り、客観的な描写に変わります。

これらのエレの目を通したショットにより、耳が聞こえず、感情も眠っていたエレの内的世界が伝わり、物語の進行とともに、静かだった(“無”だった)エレの内的世界に変化が生じていくのがわかります。

ファブリスはエレが耳が聞こえるのではないかと感じ、言葉の発声を繰り返しエレに教える。村の男たちとは全然違う態度で自分に接するファブリスに、エレは初めての感情を抱くようになる。外界との壁の中でもがき、それを打ち破る幻想を見るエレ。彼女の中で感情が目覚めていく様子が、主観ショットを通して描かれます。

そしていろいろなことがあり(中略)、夏の終わりとともに、エレとファブリスの関係も終焉を迎えるようです。若い男にふられて打ちひしがれる母親をなだめるファブリスの姿を見て、エレは踵を返して村の小さな教会に入っていく…。

教会に飾られたキリストの壁画に口づけをし、エレの心はほとんど何も聞こえない世界の中で彷徨う。石でできた天使の羽の破片を耳にあてるエレ。微かに教会の鐘の音が聞こえてくる。

と、その時、ぎぃと扉の開く音がして、鐘の音が高らかに響き、エレの表情は歓びに包まれる。

これまでは、エレの内的世界を描く無音のショットが外界の音に破られると、いつも客観的な描写に戻っていましたが、ここでは、鐘の音が聞こえた瞬間(その音はエレにも聞こえていて)、エレの内的世界と外界の間の壁が初めて取り払われたのではないかと思います。

そして、さらにもう一つの視線。本作はヴァディム監督の自伝的要素の強い作品で、主人公のファブリスがヴァディムの投影なのだそうですが、草原の中を歩くエレを眺めるショットなどには、エレへの憧憬を込めた監督の視線が感じられ、そのような場面では、フィリップ・サドルのリリカルで美しい音楽(エレのテーマでしょうか)が必ず流れます。

エレが鐘の音に歓びの表情を見せるラストシーンでは、力強い鐘の音に、エレのテーマ曲とも言うべきサドルの美しい音楽が高らかに流れ、エレは歓喜の涙を流します。そして、これ以上ない絶妙の表情をとらえて画は静止し、その静止画の上をエンドクレジットが流れます。

死んでいた感情、まだ生まれていなかった感情がエレの中に湧きあがり、新しい何かが彼女の心に誕生した瞬間ではないでしょうか。本作はヴァディム監督の少年時代のひと夏の経験であるとともに、エレの成長物語でもあると思いました。

映像、音楽ともに絶品で、素晴らしい作品です。

ぜひご覧ください

1974/06/19

2013/07/15

70点

映画館/高知県 
字幕


爽やかな青春もの

1974年6月19日に鑑賞。高知・名画座にて。2本立て。同時上映は「恋のエチュード」。

ロジェ・バディムとしては、爽やかな佳作である。