スタニスワフ・レムの原作『ソラリスの陽のもとに』では、ソラリスだけを描いているが、アンドレイ・タルコフスキー監督は、地球の描写を序盤に、かなりの時間を割いている。このせいで上映時間も165分と長くなってしまっている。また長回しでゆったり撮っているので、退屈な作品と感じる人も多かろう。しかし、当然監督には、それなりの意図がある。本作の場合、地球とソラリスとの比較もあるだろう。更に主人公・クリスの家族や故郷に対する愛情も描きたかったのではなかろうか。ここの描写は、エンディングを観れば、痛切にその想いが伝わってくるというものだ。
謎の惑星ソラリスは海ばかりで、どうもその海自体が生命体らしい。この海に降り立った者たちに襲い掛かる現象と、それに対処しようとする研究者たちの、様々な葛藤の物語。ソラリスの海は、人間が寝ているうちに、意識下のその人の重要人物(罪の意識)を、お節介にも復元して送り届ける。目的は皆目見当もつかない。クリスの前には、死んだ妻・ハリーが現れる。死んだ人間に対して、どのように接するのか、人それぞれだ。
この星には、スナウト、サルトリウスという学者もいる。二人の前にも何者かが出現しているが、彼らはそれを必死になって隠そうとしている。その理由は、原作でも映画でも分からない。ただ、クリスは隠さない。この妻を、偽物だと分かっていながらも、愛さずにはいられないのだ。ハリーは切らなければ脱ぐことのできない服を着て、追い出してもまた翌朝には現れる。怪我をしてもすぐ再生する。明らかに人間ではない。それでも愛してしまう、人間の感情の不確かさ、弱さが哀しい。ふと、自分だったらどうだろうと考える。私だったら、失った愛する人が現れたら、おそらくそこで、過去はなかったとばかりに、自分に嘘をついて、その人との生活を続けることだろう。人の心は弱いものだ。
また、作り出されてしまった方にも、様々な感情が湧いてくる。ソラリスは、ある程度の形は複製できても、その複製自体の記憶まではさすがに分からないようだ。自分がコピーに過ぎないと知ってしまったハリーの悲しみが、実に切ない。演じるナタリヤ・ボンダルチュクの、何と美しいこと。哀切感がたまらない。
さて、最後のクリスの決断は如何に。彼がどこにいるかは、カメラが引けば、分かる。見せ方も見事なエンディングだ。
1977年キネマ旬報ベストテン第5位。