ノスタルジア(1983)

のすたるじあ|Nostalghia|Nostalghia

ノスタルジア(1983)

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レビューの数

77

平均評点

74.5(333人)

観たひと

503

観たいひと

102

(C)1983 RAI-Radiotelevisione Italiana.LICENSED BY RAI COM S.p.A.-Roma-Italy, All Right Reserved.

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ヒューマン / ドラマ
製作国 イタリア ソ連
製作年 1983
公開年月日 1984/3/31
上映時間 126分
製作会社 RAI=オペラ・フィルム=ソヴァン・フィルム
配給 フランス映画社
レイティング 一般映画
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

自殺したあるロシア人の音楽家の足跡を追って旅を続ける詩人の愛と苦悩を描く。エグゼキュティヴ・プロデューサーは、レンツォ・ロッセリーニとマノロ・ボロニーニ。監督・脚本は「アンドレイ・ルブリョフ」「鏡」「ストーカー」のアンドレイ・タルコフスキー、共同脚本は「エボリ」「サン★ロレンツォの夜」のトニーノ・グエッラ、撮影はジュゼッぺ・ランチ、べートーヴェンの〈交響曲第9番〉、ジュゼッペ・ヴェルディの〈レクイエム〉他の音楽を使用し、マッシモ&ルチアーノ・アンゼロッティが音響効果を担当。美術はアンドレア・クリザンティ、編集はエルミニア・マラーニとアメデオ・サルファ、衣裳をリーナ・ネルリ・タヴィアーニ、メイク・アップをジュリオ・マストラントニオが担当。出演はオレーグ・ヤンコフスキー、エルランド・ヨセフソン、ドミツィアーナ・ジョルダーノ、パトリツィア・テレーノ、ラウラ・デ・マルキ、デリア・ボッカルド、ミレナ・ヴコティッチなど。2024年1月26日から『ノスタルジア 4K修復版』が劇場上映(配給:ザジフィルムズ)。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

イタリア中部のトスカーナ地方。詩人のアンドレイ・ゴルチャコフ(オレーグ・ヤンコフスキー)は、通訳のエウジェニア(ドミツィアーナ・ジョルダーノ)と共にモスクワからこの地にやって来た。目的は、18世紀にイタリアを放浪し故国に帰れば奴隷になると知りながら帰国し自殺したロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追うことだが、その旅ももう終わりに近づいていた。アンドレイがこの古都シエナの村まで来たのは、マドンナ・デル・パルトの聖母画を見たかったためだが、彼は車に残りエウジェニアがひとり教会を訪れた。ピエロ・デラ・フランチェスカが描いた出産の聖母像(イコン)に祈りを捧げる女たちとは対称的に膝まずくことのできないエウジェニア。温泉で知られるバーニョ・ヴィニョーニの宿屋で、アルセニイ・タルコフスキーの詩集をイタリア語に訳して読んでいるというエウジェニアに、アンドレイは反論する。「すべての芸術は訳することができない。お互いが理解しあうには国境をなくせばいい」と。アンドレイの夢に故郷があらわれる。なだらかな丘の家。妻と子供。白い馬とシェパード犬。シエナの聖カテリーナが訪れたという広場の温泉に湯治客が訪れている。人々が狂人と呼ぶドメニコ(エルランド・ヨセフソン)は、世界の終末が真近だと感じ家族を7年間閉じこめた変人だ。ドメニコを見かけたアンドレイは彼に興味を示すが、エウジェニアは、いらだったようにアンドレイの許を去った。ドメニコのあばら屋に入つたアンドレイは、彼に一途の希望をみた。ドメニコは、広場をろうそくの火を消さずに往復できたなら世界はまだ救われるというのだ。アンドレイが宿に帰ると、エウジェニアが恋人のいるローマに行くと言い残して旅立った。再びアンドレイの脳裏を故郷のイメージがよぎる。ローマに戻ったアンドレイは、エウジェニアからの電話で、ドメニコが命がけのデモンストレーションをしにローマに来ていることを知った。ローマのカンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス皇帝の騎馬像にのぼって演説するドメニコ。一方、アンドレイはドメニコとの約束を果たしにバーニョ・ヴィニョーニにびきかえし、ろうそくに火をつけて広場をわたりきることを実行しはじめた。演説を終えたドメニコがガソリンを浴び火をつけて騎馬像から転落したころ、アンドレイは、火を消さないようにと、二度、三度と渡りきるまでくり返し試みるのだった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2024年2月号

COMING Old Pictures 旧作紹介:「ノスタルジア 4K修復版」

1984年5月下旬号

外国映画批評:ノスタルジア

1984年5月上旬号

外国映画紹介:ノスタルジア

1984年4月上旬号

グラビア:ノスタルジア

特集 ノスタルジア アンドレイ・タルコフスキー監督作品:作品評

特集 ノスタルジア アンドレイ・タルコフスキー監督作品:タルコフスキー論

1983年12月下旬号

試写室:ノスタルジア

2024/04/20

2024/04/23

82点

映画館/千葉県/キネマ旬報シアター(旧TKPシアター柏) 


4kリマスター

すべてのカット
すべてのシーンが
息を呑むほど美しい。

吟遊詩人の
神なきあとの神
信仰なきあとの信仰
を求める彷徨の物語

それはまた
大いなる神の沈黙
そして、あまた遍在する神のみ徴
の物語。

2024/04/15

75点

映画館 
字幕


田園に死す

ロシアーイタリア版の田園に死すでは。

2024/01/26

2024/03/14

95点

映画館/愛知県/センチュリーシネマ 
字幕


不思議の国のタルコフスキー

難解。様々な暗喩、象徴が散りばめられているようで理解が追いつかない。ひょっとしてすべてが夢? 病に侵された主人公アンドレイが祖国ロシアや家族に想いを馳せる。夢か現か幻か。「不思議の国のアリス」みたいな? にしても難解。
ただし、映像は極めて美しい。水、霧、光と影。それらの美しさだけでも観る価値がある。

2024/03/06

2024/03/06

60点

映画館/兵庫県/元町映画館 
字幕


こんなイタリアはイヤだ。

ネタバレ

4K版を鑑賞。構図も陰影も計算され尽くして美しいが、難解。なにより、イタリアが舞台なのに、ずっとジメジメしている描写がイヤだ。第九が途中でぶつ切りになった後、ラスト近くのあんな場面で高らかに流れるのがイヤだ。そして、何かの罰ゲームのようなロウソク運びがイヤだ。イヤイヤ尽くしなのに、印象に残る。犬の演技がうまい。

2024/02/08

2024/02/25

63点

映画館/東京都/Bunkamura ル・シネマ 
字幕


なんとなく観とくと映画通みたいな?

ごめんなさい。
ちょっと、解らなかったです…。
わたしが、イタリア?やロシア??の哲学や
思想や倫理に明るくないからでしょうか…。

そんな中で思い出したのは、
20代前半に先輩に「タルコフスキーが良いから」と言われて
『惑星ソラリス』を観たはずなんですが、一ミリも覚えていません…。

でも、タルコフスキーを経験しておくと、
なんとなくイケてる映画通なような気がする…笑、
という年頃だったなぁ…などど耽りつつ…

ということで、ストーリーは、あまり理解できませんでしたが、
映像はとても美しく、俳優の方も魅力的だったので、眼では楽しめました。

2024/02/13

2024/02/16

70点

映画館/東京都/Bunkamura ル・シネマ 
字幕


かなえられなかった未来に対する希望を描いたSF映画

イタリア・トスカーナ地方で、18世紀の音楽家サスノフスキーの足跡を追っているロシアの詩人アンドレイ(オレーグ・ヤンコフスキー)。
同行するのは通訳のエウジェニア(ドミツィアーナ・ジョルダーノ)。
どうにも伝記をモノにすることのできないアンドレイに去来するのは故郷ロシアのイメージ。
そのモノクロの映像は、実際に体験したのか、それとも虚構なのかは判然としない。
ある日、温泉静養地で、周囲の人々が瘋癲と呼ぶ中年男性ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)と出逢う。
ドメニコが住まう小屋はあばら家で、雨漏りが激しく、床は水浸し。
ドメニコは、終末が真近だと感じて家族を何年も閉じこめた過去を持つ。
が、彼が言うには、まだ世界を救う術がある。
それは、水が流れる村の広場を、ろうそくの火を消さずに往復できたならば・・・ということだった

という物語で、タルコフスキーの前作『鏡』の母及び故郷のオマージュに加えて、ストルガツキー兄弟のSF小説を映画化した『ストーカー』を綯交ぜにしたような内容。

これが成功しているかどうかは観客に委ねるころになろうが、個人的には面白いのか面白くないのかよくわからない。

というのは、モノクロのオマージュ映像が、それ以外のカラー映像と差異が乏しく、『惑星ソラリス』であったような「無機質の中での郷愁」よりも、俗物的。
その分、わかりやすいようで、終盤、都市の広場で演説を打ち、焼身自殺を遂げるドメニコには驚きはあるが、どうにもそれ以上のものを感じない。
彼の演説を無言で見つめる聴衆が不気味だけれど。

ろうそくの火を消さずに水滴る広場を往復するアンドレイの姿を捉えた長い長いワンショットは、観ている側も含めて狂気じみて来る。
ま、それは、この映画から40年経ても、終末は間近いという意識が拭い去らないからなのだが。

なので、40年経て観ると、タルコフスキーの願いや祈りは届かなかったとしか思えず、どこかしら「かなえられなかった未来に対する希望を描いたSF映画」という感がしてならなかった。
あの、モノクロシーンは、郷愁ではなく、未来への希望だったのかもしれません。