今でも、というより今こそ通用するタルコフスキー作品と言えるでしょうか
年内で30年勤めた会社を辞めます。そう決めた頃から、仕事から帰宅した後や休みに、映画を見る気力が起きず、ボッーとしています。燃え尽き症候群になったような感じです。
ようやく、映画を見ました。敷居の高かったタルコフスキー、初めての出会いです。
表面的なストーリーは、なんとか理解できます。
いっしょに旅をした通訳の女性は、主人公のもとを去ります。別れに、あなたといても退屈だわ、と言われます。自由とは何?、と投げかけられます。
その旅で出会った変人とされるドメニコは、ローマの広場で焼身自殺をしてしまいます。絶望の象徴ということでしょうか。
主人公は、彼からロウソクの移動を成功させれば、世界はまだ救われると託され、やり遂げます。希望を繋いだと、言っていいでしょうか。
しかし、作品はどうもそれほど単純なものではありません。このただならぬ魅力に満ちた映像の、なんと力強いことよ!二点だけ挙げます。
故郷は、モノクロで描かれます。主人公の家族が屋敷を背景に、スタンスを保って立っています。娘が振り向くと、画面がやや明るくなります。いつの間にか、画面右上に太陽が昇っているのです。
そして、ラスト。ろうそくの移動をやり遂げて希望を繋いだと言っても、所詮ろうそくの火ほどのかすかかなものです。しんしんと降る雪でなんとも物悲しい場面ですが、実に優しく感じます。
この映画が出来て40年近くになりますが、ここでタルコフスキーが刻んだ魂というものは、現在も充分通用しているように思えてなりません。