ある女の存在証明

あるおんなのそんざいしょうめい|Identificazione di una Donna|----

ある女の存在証明

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レビューの数

5

平均評点

63.7(19人)

観たひと

41

観たいひと

7

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 イタリア
製作年 1982
公開年月日 1986/6/7
上映時間 0分
製作会社 F・A・C・I=SSPA
配給 シネセゾン
レイティング
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

自分の映画に出演する女優を求めて模索する映画監督の姿を描く。製作はジョルジョ・ノチェッラとアントニオ・マクリ。エグゼキュティヴ・プロデューサーはアレッサンドロ・フォン・ノルマン。監督は「さすらいの二人」のミケランジェロ・アントニオーニ。撮影はカルロ・ディ・パルマ、音楽はジョン・フォックスが担当。出演はトマス・ミリアン、ダニエラ・シルヴェリオ。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

映画監督ニコロ(トマス・ミリアン)は、妻と別れ、一人、ローマにやって来た。彼は自分が作る映画のことを考えながら、空想の世界と現実生活をいつも混同してしまっている。今、彼は一人の女性を探していた。彼の映画の中のキャラクターだ。彼女を中心に映画を作ろうとしているのだ。アパルトマンの部屋の壁に貼られた写真からイメージを見つけようとするが、いっこうに見つからない。実生活では、彼は貴族出のマーヴィ(ダニエラ・シルヴェリオ)という美しい女性と愛し合っている。しかし、マーヴィには何か事情があるらしく、彼女とつき合っているうちに、ニコロの周囲に、いやがらせが続いて起こる。マーヴィは説明もなく彼のもとを去ってしまう。やがてニコロは、もう一人の女イダ(クリスティーヌ・ボワッソン)と知り合う。彼女は、プチブルの出身で、前衛風演劇の役者をしている。何事にも束縛されようとしない彼女はローマ郊外の家で自由を楽しんでいる。ニコロはイダとヴェネチア旅行に出た。旅先のホテルでイダは妊娠していることを告げて去ってしまった。ローマに帰ったニコロは、結局二人の女を失っている自分を知った。彼の想像力は次第に夢のように広がってゆき、頭の中で描く映像はSF的になっていった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1986年8月上旬号

外国映画紹介:ある女の存在証明

1986年7月上旬号

外国映画批評:ある女の存在証明

1986年6月下旬号

グラビア:ある女の存在証明

1986年6月上旬号

試写室:ある女の存在証明

2017/10/01

2017/10/01

70点

レンタル/東京都/TSUTAYA/DVD 
字幕


女性は永遠の謎

 それなりに面白かった。ミケランジェロ・アントニオーニにとっては、女性は永遠の謎という事なのだろう。

 ダニエラ・シルヴィオのマヴィが去って行ったのも、クリスティーヌ・ポワッソンのイーダが他の男性の子供を妊娠したのも、監督の代わりに演じる主人公のトーマス・ミリアンのニコロにとっては、謎なんだろうと思う。

2016/10/02

2016/10/02

40点

レンタル/東京都/TSUTAYA/SHIBUYA TSUTAYA/DVD 
字幕


ミケランジェロ・アントニオーニ監督のモヤッと作品

ミケランジェロ・アントニオーニ監督が描いたモヤッとした作品だった。
雰囲気はあるのだが、盛り上がらない映画。


物語は、「妻は出ていく時に警報装置は残して行った」とつぶやく男の姿からはじまるが、この男は映画監督=ニコロであり、自分の映画に出演させる女性を探している様子。
ニコロは、ショートカット金髪の女性=マーヴィとイイ仲になり始めるが、「美女は忘れろ、これは忠告だ」なる伝言を無視して付き合い続ける。
ニコロは「大自然の様に女と関わりたい」という理想を持っているが、濃霧の中で消えたマーヴィは部屋に居て、セックスする。このシーンで、このレンタルDVDは【無修正版】だったので、黒々としたアンダーヘアはグッド……というのは、助平な男の気持ちか(笑)

…という感じで、二人目の女性も現れたりするのだが、全然盛り上がらないミケランジェロ・アントニオーニ監督作品であった。
この監督の作品の出来には、なんか波があり、傑作とイマイチの落差はげしい気がする。

1986年

2015/01/17

61点

映画館/東京都 
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女が見つからないので映画は出来ない

84年イタリア映画祭にて
映画監督ニコロは映画の中のキャラクターである女を探しているが、映画を撮るでもなく二人の女性との愛の日々を送っている。
結局女は見つけられなくて映画を撮ることはできない。映画は怪物なのだと言いたいようだが、それだけでは退屈極まりない。観客の事を考えてください。
 フェリーニの『甘い生活』を想い起した。マルチェッロは存在感あったけどね。撮影と音楽は良。特に霧の夜は良かった。

2013/04/11

2014/10/10

25点

 
字幕


この手のは、今の気分ではなかった

これって、男から見た、女の…、ってことなんだと思いますが…

愛って、不毛なんだよね。 最後の宇宙船みたいなのは、なに? とか、言ってはイカンのでしょうね。

てか、退屈でした。

監督:ミケランジェロ・アントニオーニ

1986/07/10

2013/07/10

65点

映画館/大阪府 
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アントニオーニ

1986年7月10日に鑑賞。大阪・梅田コマシルバーにて。前売1100円。

ミケランジェロ・アントニオーニだが往時の力がない。中位の出来である。