物語は米国石油資本が石油精製工場建設のために、スコットランドの小さな漁村を地上げしようというストーリー。ビジネスのロジックで作ると結構ドライでシビアな映画になりそうなテーマである。
この映画ではそういうテーマを実に面白く取り扱っている。地上げというと、「利益のために住民も自然も踏みにじる企業側と抵抗する住民たち」のような構図がうかぶ。
しかし、地上げするノックス社社長ハッパー(バート・ランカスター)はビジネスより天体観測の方に興味があるらしい。バート・ランカスターのとぼけた社長ぶりは一見の価値ありで、ののしることが治療という妙ちくりんなカウンセラーにかかっているところを見るとストレスも結構あるらしい。経営会議では居眠りして大いびき、社長室にはスイッチ一つで登場するプラネタリウムを備え、主人公マッキンタイア(ピーター・リーガート)がスコットランドに向かうときも、買収のことは全然頭になく、スコットランドの星空の様子をレポートするように嬉々として命じる。地上げする側にはシビアでビジネスライクな感じが微妙に、ない。
一方の、地上げされる側の漁村の住民たちもまたおかしい。抵抗するかと思えばさにあらず、マッキンタイアが現れた瞬間から金の話で持ちきりになる。素朴な漁村の老人がロールスロイスを買うかマセラッティを買うか議論している姿がおかしい。企業と村人の仲介役のホテル主人兼会計士のゴードンもいかに高く吹っかけようかと虎視眈々。漁村に大金をもたらすマッキンタイアはまさに突然現れたヒーローである。要は買収する側される側の様子がそれぞれ逆転してしまっている。
この作品のほのぼのと気持ちの良い波長は、地上げというエゴがむき出しになりそうテーマを選んでおきながら、善悪や正しい正しくないというような判断がどこにもされていないことが原因なのかもしれない。ビジネスマインドのない社長もOK、金持ち願望丸出しの住民もOK、ピンはねを画策する会計士も全然OK。悪意を振りまく人間も、正義を叫ぶ人間も出てこない。
そんなドラマの中心人物マッキンタイアは飄々と淡々と仕事を進めていくが、徐々に村の風情になじんでいく。スーツ姿がノーネクタイになり、村人たちと同じようなセーター姿に変わっていく。ヒューストン本社の会議時間に変なアラームを鳴らす腕時計は海岸の岩場に忘れ去られて海の中に。ホテルの入り口でなぜか必ず轢かれそうになるオートバイをよけるタイミングもつかんできた頃、マッキンタイアはゴードンに一度だけ「このまま村に残りたい」と伝える。
唯一、買収に応じない老人ベンと漁村に自らやってきたハッパーが星の話で意気投合し、買収計画は予想外の方向に変更。役目を終えたマッキンタイアは、やはり最後まで淡々と、特に執着することなく村を去っていく。
ラストの2カットはスコットランドの漁村での出来事を猛烈に懐かしく感じさせる素敵なシーンで締めくくられる。
続けて2回観た後に、ジワーと素晴らしさが伝わってくる、とっても気持ちのよい作品であった。