「この塀は魔物だ。初めは憎む。次に慣れる。そのうち依存する様に為る。それが収容病だ」
ネタバレ
凡そ世の中に一度はその名を知らしめた名作、或いは名画と呼ばれる類の作品を一つ一つ掘り起こしていけば、それはそれで枚挙に暇が無いのであろうが、ではその作品の何を以て名画、或いは名作としてたらしめている理由、或いは定義付けは何処から来るものなのだろう。そんな理由付けなど求めてもそれこそ人それぞれで、名画・名作の数と同じ様に星の数ほどあると言うものだろうが、そんな夥しい数の理由付けの中から敢えて私が一つ選び出すとしたら、私は時代の風雪に耐えて、朽ちる事無く、出来上がって50年後の世に為ろうが、更に50年を経て百年の月日が流れようが、まるで今しがた完成したばかりの作品かと思い違えるほどの「瑞々しさ」を以て私達の眼の前に現れ、そしていけしゃあしゃあと観る者の心臓を射抜くほどの力の在る作品を言うのではないかー私達が常日頃言う「不朽の名作」とはそうしたものだろう。今回紹介する作品=『ショーシャンクの空に』は、そんな「不朽の名作」と言う形容を前にして恥じる事無く、またその場に留まってひるむ事さえ無い、そう言う意味では微動だにしないだけの力量を持った堂々たる力作である。制作されたのは1994年のアメリカ映画で今から数えて26年前の事。そう言う点では未だ四半世紀とも言えない事も無いが、映画の中で語られる人の一己の人間としての「魂の尊厳」の意味と其処に映る心の「美」の世界が支配する価値観についての問い掛けは強いメッセージ性を以てどの時代の社会体制や政治的風土に捕らわれ時代の風の中で朽ちる事無く、不朽の名作として後世に威厳を以て伝えられるだけの作品の幅を既に持ち合わせて生まれて来ている。そう言う観点から見て、そろそろこれから映画の古典とも為って行きそうな域に既にもう入っているーこんな事は一個人の分際で言う事では無い事なのだろうけれど、それでもそう言わせてしまうだけの力量と価値観、それに其処に映される美意識を兼ね備えた、これはフランク・ダラボン監督が徹頭徹尾、人間の「魂の尊厳」の問題について世に問うた、全てのアメリカ映画を代表する作品のうちの一本だと言える。
原作はスティーブン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワ―ス』と言う短編小説との事だが、証拠不充分では在るものの、殆ど「冤罪」と言っていい、半ば無茶苦茶な裁判の結果、殺人の罪を負わせられて20年間刑務所の飯を喰わせられた銀行の元副頭取が、20年後に収監されていたショーシャンク刑務所からの脱獄に成功して人間の魂の自由、心の自由を見事勝ち取ると言う噺だ。尚、この映画の原題は『The Shawshank Redemption』なんだそうだが、このうちのRedemptionには債務などの「償還」とか、この「償還」と言う意味から更に転じて、神学上は神による罪の「贖罪」と言う意味が在るようで、映画の原題の意味に直截当たる中からこの映画の中で為される物語がこの世の中で大よそ為されて来た人間の俗悪で、無恥で、狡猾な罪の意識を前にして、そんな薄汚れたカネの亡者と為った、犬畜生にも劣る鬼畜に成り下がった人間どもの蛮行をそのカネをたとえ見た目だけでも綺麗に洗って罪を洗い流す事で自分達が背負った罪に対する「贖罪」とした物語の背景が見えて来る。この物語はそう言う意味で人を罪に陥れる蛮行をその己が姿の破廉恥な姿として見せ付けて一時的なストレスの吐き出し口とする「罪」の意識から逃れて、人間は如何にして生まれ変われるかと言う人間救済の歌を謳ったものだ。だから元銀行の副頭取のアンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)が調達屋の通称“レッド”(モーガン・フリーマン)からロックハンマーを手に入れて20年!-20年後にトンネルを掘り終え、下水管から嵐の晩に独り脱走に成功した時には、私などは彼のベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付き」の第四楽章を高らかに掛け捲ってその世紀の大合唱の中で冤罪の訴えも空しく、採り上げて貰えなかった者の、銀行家としての才を生かした金の動かし方、活かし方を以てカネの力で自らの私怨を果たすと言う、謂れの無い罪の「生贄」に永い時間曝されて来た者への救済の音楽として本気で聴いて見たかった。
兎角人間は弱い。その弱さから無性に逃れるために人は群れを作り、また「己」と言う存在を周りからしっかり護らせる為に他者との間に謂れの無い上下関係を創って、自分より格下に置いた相手に対して意味も無く侮蔑的で差別的な感情を持って見下げる事により初めて相手との距離感に均衡を保ち、その事を以て精神的ストレスを抑えて来たのかも知れない。そう言うサディズムにも似た他者を屈服し支配する位置関係の中で自分が相手に対して少しでも優位に立とうとする空気が最初からこの映画の中に流れている。だからアンディの奥さんはゴルファーとの間に不倫関係を続けながらその肉欲に溺れた関係が明るみに出た時に悪びれる事も無く平然としていたと言うし、刑務所の中は中でボッグズのストレスを抑える為の性的興奮を高める玩具にさせられる。だがそんな屈辱的でしかない他者を縛るサディスティックな支配関係も、それこそ気の遠くなる様な時間の中で習慣化されてしまえばそれはペットを飼う主人との関係にも似て、支配され檻の中で隷属する位置関係は依存関係へと取って代わる。その最早依存関係に迄飼い馴らされた人間関係が仮釈放と言う形で娑婆に放り出された時が一番怖い。既に檻の中で飼い馴らされると言う依存の関係の中で人間性を見失っている囚人が「捕らわれ人」の立場の儘に、謂わば主人を失くした野良犬として社会に放り出される事で、人と人の関係を超えて割れて罅の入った手鏡を見る様に人間性が破壊された中では仮釈放に為った処でそう言う人間関係から解放され、真の意味で魂の飛翔するような自由を勝ち取った訳では無い囚人にとっては、己が姿も醜悪なくたびれた粗大ごみにしか映らない。そうやって永い時間を掛けて飼い馴らし環境の変化に対応出来ないほど人間性を破壊して刑務所の看守と所長の玩具でしかなくなった、もう何処にも逃げられない捕らわれ人の恐怖。その何時迄続くか分からないPTSD(心的外傷後ストレス障害)を見る様な恐怖が精神的鬱症状と為って捕らわれ人を襲う。その結果がもう生きる事に疲れ、生きる事に希望を持ち続ける事がまやかしにしか聞こえてこないほど廃人にされてしまった依存関係の中で、絶望の淵に立たされたままブルックス(ジェームズ・ホイットモア)を死へと追い遣る。自らの手で。一度刑務所に収監され檻の中で捕らわれ人と為った者の身が如何に人間性を破壊され、甚振られて永遠にこの世から棄てられると言う生温かい性的な支配関係の何処迄も及ぶ処で何処迄も及ぶが故のインモラルで道徳性を失ったマゾヒスティックな依存関係の中に或る種の切なさを以て描かれる。その人間の体温を意識した不道徳な生温かさから脱却して全くの別人に為る事にRedemption=贖罪の意味が在る。そしてその死せる魂を売り渡し、身も心も全くの別人に為って出直す事に最早「更生」と言う範疇を超えた、社会復帰と、人間性を大きく押し広げて見せた本物の自由と「魂の解放」の物語が在る。