この作品を今まで見ていなかったのは、映画狂として「恥」であり、大きな損をしていたと思う。
ネタバレ
レザボア・ドッグス
映画狂を名乗り、クエンティン・タランティーノ監督の他の作品はすべて見ているにもかかわらず、もはや伝説と化している1992年のデビュー作を見たような気分で実は見ていなかったこと、「恥」以外の何物でもない。と、言い訳から始まってしまった。冒頭、まさに個性の塊のような男たち(タランティーノもいる)が、ファミレスみたいなところで、マドンナの「ライクアバージン」の解釈やチップを出すかどうかなど、ド~でもいい話をしている(ただし、その会話は別に退屈しないのが不思議。実は「レザボア・ドッグス」というタイトルも、タランティーノがフランス語を聞き間違えただけで、意味がないとの説がある)。そこから、揃いのブラックスーツに細い黒ネクタイの男たちが並んで歩く超スタイリッシュなシーン。そしていきなり、銃撃で血まみれになった男を後部座席に乗せて、車で逃走するシーンに飛ぶ。この衝撃の凄さは、後のシーンの実に唐突なタイミングでの射殺にもみられるタランティーノの確信犯的な演出だと思う。
正直、見終わって、冷静に考えると、ストーリー自体は強盗グループの中に、潜入捜査官が絡むというフィルムノアールではよくある話なのである。しかしながら、黒澤明の「羅生門」のような目まぐるしく回想で時制が変わる実に見事な脚本の構成に魅いられてしまう。まさに、タランティーノの観客を引き付ける天才性にただただ圧倒されるのだ。また、この作品の初公開当時においては、タランティーノも影響を受けたと広言している深作欣二との関係性からこの作品に「仁義なき男たち」なるコピーがつけられたことがあったらしい。しかし、この作品では、「仁義なき」どころか、男たちの熱い友情、絆を感じさせるものとなっている。特に、瀕死の重傷を負いながら、最後、潜入捜査官が事実を明かし、それを知った男がその捜査官を撃つことができないというのは、泣けるシーンなのである。そして、男たちは全員死んでいくのだ。
この作品、一部の者から、香港映画からのパクリ疑惑を指摘された経緯があるらしい。しかし、ビデオショップでアルバイトしながら、浴びるように映画を見てきたタランティーノの引き出しの多さは、ひとつやふたつのパクリを超えたむしろクリエイティブな域に達している(ちょうど、我が師、大瀧詠一氏が自身の音楽に対するパクリの指摘に、「それだけではない、甘い」と余裕でいなしたように)。
本作はタランティーノのアイデアに対し、この作品にも主役で出ているハーヴェイ・カイテルが気に入り、低予算ながら映画化に協力した経緯がある。その低予算を逆手にとって、タランティーノは、ほとんどのドラマが同じ室内で終始し、強盗がテーマでありながら、肝心の強盗シーンがないにもかかわらず、観客は巧みな構成、脚本により観客にあたかも強盗シーンをみたような気にさせる見事な作品に仕上げている。そして、公開当時はそれほどには有名でなかったティム・ロス、マイケル・マドセン、クリス・ペン、スティーヴ・ブシェミなど(繰り返すが、おーなんと個性的な顔ぶれだろう)を見出した功績も大きい。やっぱり、この作品を今まで見ていなかったのは、映画狂として「恥」であり、大きな損をしていたと思う。