明治の中頃、長崎の清国人居留地に清国人を父に、日本人を母にもつ趙三彩という投げ剣に秀でた若い奇術師がいた。彼は本名を燕生といったが、幼時父が殺され、その仇を求めて召使の李明信と長崎に渡って来たのである。趙はある夜居留地の大立物王文樹の宴会に招かれて妙技を見せたが、彼はそこで李から客の一人陳程順こそ仇の片割れ徐錫だと告げられ、早速翌朝陳を訪れ、証拠の短剣を示して仇の最上五平がどこにいるかと問詰めた。陳は一晩の猶予を乞うたが、彼はその間に土地の顔役大畑伝四郎と密議を交した。翌朝陳の娘愛卿は、次の朝最上の居所を報せるという父の手紙をもって趙を訪れるが、約束の朝になってみると陳は何者かに殺されていた。手紙の内容を知らぬ愛卿は、趙を疑って再び彼を訪れるが、趙に慰められ、次第に彼に心を引かれるようになった。その夜、趙は路上で何者かに狙撃されて、傷手を負うが通りかかった道代という娘に助けられてその父の老医杉下の手当をうけた。さらに宿に帰った趙は陳を殺した容疑者として捕われ、王文樹の保証で釈放されたものの、再び街上で狙撃されたまま姿を隠した。愛卿は疑いと不安にかられて趙の召使季の跡をつけ、遂にその隠れ家を発見したが、そこで彼女が見たのは趙と道代のむつまじい姿だった。愛卿はそこで彼に陳と大畑伝四郎の関係を語った。ところがその帰途、愛卿は大畑の一味に誘拐され、その家にとじこめられてしまった。趙は得意の短剣を握って大畑を襲い、愛卿を救った。大畑は王文樹の手先であり、王文樹こそ趙の父を殺して下手人であることを知った趙は、遂に王を殺し、愛卿と手をたずさえて上海に帰った。