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鑑賞日 2017/09/03  登録日 2017/09/03  評点 70点 

鑑賞方法 映画館/新潟県/J-MAXシアター 
3D/字幕 -/-
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他にずらして考えてみる

人間を食べる生き物(見た目は人間のように見える)。
本性を出す時は目が赤くなり、体からそれぞれの変幻(体から何かがはえてくる感じ)をする。

この構図だと単なる「喰種」VS「人間」として戦う場面に目が生きがちになる。

映画のつくりどころの一つは確かにそうだろう。しかし、そこが本筋ではない。

主人公はもともと人間だったが、あるきっかけで喰種の内臓を移植されてしまい、半分人間半分喰種となる。半分なにだが、悲しいことに「食」に関しては喰種側に立ってしまう。「喰種」側になると、人間しか食べることができなくなる(というか、別に人間が食べているものを食べたからといって死ぬわけではないが、野菜、魚、豚や牛の肉などは死ぬほどまずく感じるらしい。それを表現するためにそういうものを口にしたら皆吐いている。そして何度も何度も口をゆすいで綺麗にしている)。人間世界のもので唯一口にできるものはコーヒーだけだ(あとは水かな)。

半分人間半分喰種になってしまうことがこのストーリーの第一の仕掛けだ。
予想できると思うけれど、どのようにして喰種側の生活に馴染んでいくかが描かれる。

喰種側にも人間が好きで人間世界の中でしっとりと生きていこうとしているものがいれば(そういう側は自殺者などをエサにしている)、自分でテリトリーで見つけてどんどん人間を狩っていく喰種もいる。この関係が第二の仕掛け。

そんな中、最初に書いたけど一番表面的に描かれるのが喰種を狩る人間(ちゃんと国家身分がある)と最初はそ彼らを避ける、逃げるようにしていた喰種が対決を選んでいく様子を描くのがメインストーリーの第三の仕掛けである。

こういう、とんでもない話になるともともと「アホくさ」と思う人たちもいるし、表面的なおもしろさで盛り上がる人もいると同時に、作者が狙ったかどうかわからないけれど哲学的に意味を解釈し持っていこうとする人もいる。(エヴァンゲリオンやマトリックスなんかがそんなかんじ…とわたしは勝手に解釈する)。

で、わたしも哲学なんて何一つわからないけれど、こういう映画を見ると勝手に深く解釈していろいろと想像するのが好きだ。
もともと、ひとり遊びが大好きだし。

食べる、食べられる関係で仲良く生きていくなんてあり得るのか?
というところがあるが、互いのこと尊重しとなったら、対話を重ねていくしかないのだろうなぁ。iPS細胞をもとに喰種が実際の人間を食べなくとも生きていける術を考えるとか。

ただし、今現在、人間同士が対話できずに争うごとが絶えないわけで、そこに重ねたり、ずらしたりして考えていく必要があるのだろう。

といいながら、喰べる食べられるという関係が「基本」なのでそこを日常の何かに重ねたりずらしたり考えるのはなかなか難しいか。

映画の最後は、言葉ではっきりとした説明はしていないが、人間、喰種、それぞれに(自分の中で)折り合いをつけたように見える。

折り合いとは、我慢とは意味が違うのだろうけれど、自分の性根のところで、一つ一つ踏ん切りをつけていくしかないよね。難しい。

最後に、わたしはこの原作漫画を見ていない。
わたしにしては珍しい。
こういうのを見るときは、まず、原作を読んでから映画を見るのが常であった。
原作を読んでいないから新鮮だった。これ、原作を読んでから見ると当たり前のようにブツブツと一言言いたくなるだろうなぁと思う。

ではなく、映画の一作品として見られたのはよかったと思う。次回から映画を見るときはすでに映画化の噂前に読んでしなったものは仕方ないにしても、映画化されると決まって自分好みっぽくたぶん映画館に観にいくであろうという作品はあえて読まないで観にいったほうがいいなぁと感じた。その後、原作本や漫画を読んでみよう。この東京喰種も漫画そのものに興味を持った。

寄生獣とはまた違った趣だった。

もちろん、細かいツッコミどころはあるけれど、そのツッコミで映画に集中できなくなるほどのものではなかった(前、観た「忍びの国」はわたしにはちょっと耐えられない作品だった)。

まぁ、こういうサブカルが好きなんだね。基本、わたしは。