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高倉健

  • Ken Takakura
  • 出演
本名 小田剛一
出身地 福岡県中間市
生年月日 1931年2月16日
没年月日 2014年11月10日

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略歴

福岡県中間市の生まれ。本名・小田剛一。戦時中は八幡市に疎開し、幼少期の病弱を克服すべく、県立東筑中学(現・東筑高校)では陸上部でハイジャンプに励み、合気道にも打ち込む。中学5年の時に学制改革で新制高校の2年に編入され、ボクシング部を創設。フェザー級で6勝1敗の戦績を誇る一方、ボクシングを通じて小倉在住のアメリカ人の少年と知り合い、港を出入りする外国船に欧米のイメージを喚起されて貿易商を志すようになる。1949年、明治大学商学部に入学。保証人だった相撲部の監督に誘われるままに相撲部に入るが1年で退部し、授業にはほとんど出ずに渋谷周辺で“明大の小田”として勇名を馳せる。野放図で無軌道な日々を送りつつも、54年に大学を卒業するが、就職難で貿易商への道は開けず、事志に反して帰郷。父親が手がけていた砕石業を手伝うようになる。しかし、学生時代の恋愛の延長として自分で決めていた結婚を両親に反対され、半年後に家出同然に再上京。大学時代の恩師の紹介で、美空ひばり、中村錦之助(のち萬屋錦之介)らが所属していた“新芸プロ”のマネージャー見習いの口がかかる。当時は京橋にあった東映本社の階下の喫茶店で面接を受けていたところ、たまたま居合わせた東映東京撮影所長・マキノ光雄にスカウトされ、55年、東映第2期ニューフェイスに補充編入された。当時の東映の規定では、ニューフェイスは俳優座演技研究所で6カ月の研修ののち、さらに撮影所で6カ月間は見習い修業することになっていたが、入社わずか1カ月半でシリーズ連作の「電光空手打ち」「流星空手打ち」56の主役に抜擢。同年、日活の石原裕次郎、大映の川口浩とともに第1回の製作者協会新人賞を受賞する。以後、弱体だった東映の現代劇を背負うホープとして、「大学の石松」56~57、「喧嘩社員」57、「台風息子」58、「天下の快男児・万年太郎」60~61などの各シリーズに出演する一方、「青い海原」57、「娘十八御意見無用」58、「べらんめえ芸者」60~62などで美空ひばりの相手役にも起用される。そうしたプログラムピクチュア以外では、内田吐夢監督「森と湖のまつり」58への出演がのちの飛躍へのステップとなる。新東宝から移籍した石井輝男監督の「花と嵐とギャング」61での無鉄砲なチンピラ役、井上梅次監督「暗黒街最後の日」62でのギャング役などは、任俠路線の着流しやくざ以前の高倉の資質を掘り当てて、スターへの道を切り開いた。その間の59年、「恐怖の空中殺人」56で共演した歌手で女優の江利チエミと結婚。この時期の出演作は、ギャングもの、戦記もの、時代劇、コメディ、任俠ものと玉石混交だが、以降の“ストイックな男”と“アウトロー”というイメージを決定づける作品が含まれており、大躍進への里程標となった。最大のヒット作はマキノ雅弘監督の「日本俠客伝」64~71で、ここで演じた“辰巳の長吉”は、「人生劇場・飛車角」63と並んで任俠路線における高倉の原点であり、定型となる。以後、ほぼ同時並行した「昭和残俠伝」65~75と、藤純子(現・富司純子)主演の「日本女俠伝」64~71、「緋牡丹博徒」68~69への助演で、その頂点を極めた。さらに、ギャングものにおけるアウトローのイメージの延長上に、深作欣二監督「ジャコ万と鉄」64の非情な網元の息子・鉄役が生まれ、コミカルな度合いを増して石井輝男監督「網走番外地」65の橘真一役へと発展していく。空前のヒットとなった「網走番外地」は、「続」「新」と冠せられたシリーズを含め、72年の終焉まで計18本が作られた。70年、自ら高倉プロモーションを設立する途上で世田谷の自宅が全焼し、さらに71年9月には江利チエミとの結婚生活にピリオドを打つなど、私生活では波乱に見舞われる。軌を一にして任俠映画も衰退期に入り、74年には初の他社出演で勝新太郎と共演した斎藤耕一監督の東宝「無宿(やどなし)」、シドニー・ポラック監督のアメリカ映画「ザ・ヤクザ」に出演したものの新路線を拓くには至らず、183作目の出演映画となる「神戸国際ギャング」75を最後に東映を退社。フリー第1作は大映=松竹配給の佐藤純彌監督「君よ憤怒の河を渉れ」76だったが、作品的にも興行的にも失敗に終わる。しかし、続く森谷司郎監督「八甲田山」77では明治の軍人のストイシズムを自然体で体現し、山田洋次監督「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」77では出所したばかりの元服役囚を、アウトローのイメージを引用しつつ存在感あふれる芝居で演じきる。この2作で任俠路線のヒーローから脱皮し、キネマ旬報賞、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞、この年創設されたばかりの第1回日本アカデミー賞で、主演男優賞を独占する。続いてテレビドラマ初主演となった倉本聰脚本のTBS『あにき』77での下町の律儀な鳶の頭・神山栄次は、「日本俠客伝」「昭和残俠伝」の博徒や流れ者と、「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」のストイックなイメージをお茶の間向きにブレンドしたような新しいキャラクターで、同時期のNHKのドキュメンタリー『北帰行』、『レナウン』のCM出演とも相まって、高倉を国民的スターの座へと押し上げる。降旗康男監督「冬の華」78のやくざでありながらやくざには見えない加納秀司役、佐藤純彌監督「野性の証明」78の巨悪と戦う味沢一等陸曹役はそんな背景から生まれ、1本立て大作に相応しい唯一のスターとの評価が確立した。80年、森谷監督の正月映画「動乱」では吉永小百合と初共演し、2・26事件を主導する叛乱軍の将校を、再び山田監督とコンビを組んだ「遙かなる山の呼び声」では警察に追われる逃亡者をそれぞれ演じ、2度目の日本アカデミー賞主演男優賞。『あにき』「冬の華」に続く倉本脚本で、降旗監督の「駅/STATION」81は、オリンピックの射撃選手でもある刑事・三上栄次の過酷な勤務と女性関係を描き、北海道の風土と高倉のエモーショナルな持ち味を巧みにフィックスした秀作となる。同作で日本アカデミー賞の主演男優賞を2年連続受賞。その後も作品を厳選しつつ、蔵原惟繕監督「南極物語」83、「海へ/See you」88、降旗監督「居酒屋兆治」83、「夜叉」85、「あ・うん」89に主演。いずれも日本で撮影されたリドリー・スコット監督「ブラック・レイン」89、フレッド・スケピシ監督「ミスター・ベースボール」93の2本のハリウッド映画にも出演し、「ザ・ヤクザ」以来の海外進出も果たす。大石内蔵助に扮した市川崑監督「四十七人の刺客」94以降はさらに登板間隔が空くようになるが、定年直前の孤独な鉄道マンを哀感たっぷりに好演した降旗監督「鉄道員(ぽっぽや)」99では、キネマ旬報賞、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞の主演男優賞を受賞。特攻隊員の生き残りに扮し、死亡した戦友を韓国にまで弔問する姿を描いた同じく降旗監督の「ホタル」01、中国の張藝謀監督と組んだ「単騎、千里を走る。」06のあとは映画出演が途絶え、公の場にもあまり姿を見せなくなっていたが、2012年秋公開予定の降旗監督「あなたへ」で6年ぶりの銀幕復帰を果たすこととなった。この最新作で出演映画が205本目の長いキャリアの中で、脇役がほとんどない“銀幕最後の大スター”であり、テレビドラマへの出演も前述『あにき』のほか、NHK『チロルの挽歌』92、『刑事』95、フジテレビ『これから』93など数えるほどしかない。バラエティ番組などにもほとんど出ないが、数少ない出演機会である97年のフジテレビ『SMAP×SMAP』へのゲスト出演や、それらに比しては多いCM出演などにより、お茶の間の支持も相変わらず高い。98年、紫綬褒章受章。著書に『あなたに褒められたくて』『旅の途中で』などがある。2014年11月10日悪性リンパ腫のため死去。

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外国映画批評:風は知らない