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高峰秀子

  • Takamine Hideko
  • 出演
本名 松山秀子(旧姓・平山)
出身地 北海道函館市の生まれ
生年月日 1924/03/27
没年月日 2010/12/28

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略歴

北海道函館市の生まれ。本名・松山秀子(旧姓・平山)。蕎麦屋料亭を経営していた土地の実力者・平山力松の長男・錦司の長女で、兄3人、弟ひとりがいた。4歳の時に母が結核で死亡したため、かねてから秀子を養女にと望み、名付け親にもなった父の妹・志げにもらわれ、東京に連れていかれる。その養母の家の近所に松竹蒲田撮影所の老け役・野寺正一と親しい人間がいて、29年9月、野寺の案内で養父が撮影所を見学することになり、秀子も養父におんぶされて行く。その日は、野村芳亭監督「母」の子役オーディションの日で、飛び入り参加した秀子は野村に選び出され、ヒロインの母を演じる川田芳子の5歳の娘で春子という役で出ることになる。10月1日付で松竹蒲田に入社。養母が昔の活弁時代の芸名をそのまま付けて“高峰秀子”を名乗る。「母」は松竹蒲田お得意の母もの映画の佳作で、浅草では45日間という空前のロングランヒット。まだ5歳になったばかりの秀子はたちまち重宝がられ、時には男の子の役もやらされつつ、“秀坊”“デコちゃん”の愛称で呼ばれるようになった。31年4月、蒲田尋常小学校へ入学。かけもち出演に追われて学校へ顔を出すことはほとんどなかったが、撮影現場での秀子は天真爛漫、演技も素直でスタッフの評判もよく、下加茂の時代劇にも呼ばれることもあり、“天才子役”の名をいっそう高めた。36年1月、松竹は撮影所を蒲田から大船へ移す。実生活では、秀子の兄に続いて函館の大火で財産を失った祖父の力松一家7人が彼女を頼りに転がり込んできて、千駄ヶ谷に一戸を借りて住まわせることになり、秀子の肩に9人の生活がかかることになる。37年1月、秀子はPCLに引き抜かれる。給料も上げ、女学校にも行かせてくれるという約束だった。同年4月、神田・文化学院に入学。9月にPCLは東宝映画となり、翌38年、秀子は15歳の少女・豊田正子が書いてベストセラーとなった生活綴方集『綴方教室』の山本嘉次郎監督による映画化の主役として出演。長屋暮らしの貧しいブリキ職人の小学校6年生の娘に扮し、貧しいながらも明るく強く生きる少女を自然に生き生きと演じて、最初の代表作とした。この作品をきっかけに主演作が次々と作られ、39年には結局9本にも出演。そうなると文化学院への登校も徐々に減っていき、入学1年半にして退学を余儀なくさせられる。東宝ではますます売れっ子になり、「秀子の応援団長」40では主演の灰田勝彦とともに主題歌『燦めく星座』を歌い、大ヒットさせる。41年、山本嘉次郎監督の「馬」に出演。東北の馬産地に育った少女が、心血を注いで育てた馬を貧困のために売り払い、やがて紡績女工となり買い戻して、晴れて軍馬として送り出すという、少女の馬に寄せる愛情と苦闘を四季折々の風景の中に描く感動作。成瀬巳喜男監督「秀子の車掌さん」41、マキノ正博監督「阿片戦争」43、佐伯清監督「北の三人」45などに出演して終戦を迎える。戦後第1作は佐伯監督の「陽気な女」46。同年11月、東宝争議は第2次ストに突入するが、彼女は左翼主導のストに反対する大河内傳次郎に同調し、長谷川一夫、入江たか子、山田五十鈴、原節子などと“十人の会”を結成して東宝従業員組合を脱退。47年3月に新東宝映画を設立した。第1回出演は大河内、長谷川、黒川弥太郎が顔を揃えた「大江戸の鬼」。秀子が歌う主題歌が大ヒットした「銀座カンカン娘」49、そして阿部豊監督の大作「細雪」50で、花井蘭子、轟夕起子、山根寿子に続く天衣無縫な末娘を好演。小津安二郎監督「宗方姉妹」50では戦後派娘を厳しい演出にも耐えながら好演し、演技派女優への道を一歩踏み出す。50年11月よりフリー。フリー第1作は木下惠介監督の「カルメン故郷に帰る」51。この日本初の長編総天然色映画で公開された作品は、少々頭の足りないストリッパーが故郷の朝間山麓へ里帰りする騒動をペーソスたっぷりに描いた風刺喜劇の佳作で、秀子は天真爛漫、伸び伸びと演じて青春期最後を飾る記念すべき作品となった。51年6月、留学生としてパリへ出発。その頃、険悪化していた養母との間柄やフリーになってからの不安など身辺整理が目的の日本脱出で、孤独を感じながらも映画を忘れて自由を楽しみ、6カ月後の12月に帰国する。帰国第1作は五所平之助監督「朝の波紋」52で、池部良を相手に情感をにじませて好演。次いで、久しぶりに成瀬監督の「稲妻」52に主演。母は同じだが父がそれぞれ違う4人兄妹の末娘に扮し、自分勝手な兄姉たちのいる環境に押し流されないように、ひとり抵抗する観光バスのガイド役を巧演した。成瀬芸術の極致とまで言われ、彼女も演技派女優としての名をさらに高める。続いて木下監督の「カルメン純情す」52にも主演。以降、秀子は木下と成瀬の作品に交互に主演し、50~60年代の日本映画の秀作を支えて、押しも押されもせぬ大女優となっていくのである。五所監督「煙突の見える場所」53では、芥川比呂志を相手役に冷静な娘役。その芥川とは豊田四郎監督「雁」53で医学生に報われぬ想いを寄せる高利貸しの妾を、明治の日陰女の哀愁を情感たっぷりに演じ、木下監督「女の園」54では、自由を束縛する女子大の寄宿生に扮して、大学に利用されて自殺する悲劇のヒロインをひたむきな姿で演じきった。そして木下監督「二十四の瞳」54に主演。この時期、木下は絶好調であり、これが両者にとって大金字塔となる。壷井栄のベストセラーの映画化で、瀬戸内海の小豆島の小学校の分校を舞台に新任教師と12人の生徒との師弟愛を描いたもの。軍国主義とそれに続く戦争という受難を冷徹に描いた作品でもあり、興行的に大ヒットを記録。キネマ旬報、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の各ベスト・ワン、芸術祭賞を受賞し、秀子自身も女優賞を独占した。次いで成瀬監督の林芙美子原作「浮雲」55に主演。くされ縁で結ばれた男女が止めどなく落ちていく姿を描いたもので、森雅之を相手に、不実な男に振り回されながらも離れられない女の業を淡々と、しかも卓越した演技で見せた。この作品もキネマ旬報ベスト・ワンとなり、第1回の女優賞を、男優賞の森雅之とともに受賞する。「二十四の瞳」とこの2作で、トップ女優としての地位を確立する記念碑的作品となった。「浮雲」が公開された40日後の55年2月25日、木下の助監督・松山善三との婚約を発表。「二十四の瞳」の小豆島ロケの時に木下に交際を勧められ、その素直で誠実な人柄に惹かれて結婚を決意したもので、同年3月26日に、木下と川口松太郎・三益愛子夫妻を媒酌人に挙式した。結婚後は、木下監督作品では「遠い雲」55、「喜びも悲しみも幾歳月」「風前の灯」57、「笛吹川」60、「永遠の人」61、「二人で歩いた幾春秋」62、「スリランカの愛と別れ」76に出演。中でも「喜びも悲しみも幾歳月」は佐田啓二と組んで全国を回る灯台守夫婦を演じて大ヒットさせ、深沢七郎原作「笛吹川」では田村高廣と組んで戦国時代の過酷な運命に見舞われる純朴な農民夫婦を演じ、18歳から85歳までの老け役に挑戦するなど、木下の年代記映画のヒロインとして活躍を続けた。一方、成瀬作品は「くちづけ」55、「妻のこころ」「流れる」56、「あらくれ」57、「女が階段を上る時」「娘・妻・母」60、「妻として女として」61、「女の座」「放浪記」62、「女の歴史」63、「乱れる」64、「ひき逃げ」66などに主演。中でも「女が階段を上る時」は銀座のバーのマダムに扮して、夜の蝶の哀しみを演じる。若き日の林芙美子を演じた「放浪記」では演技派・高峰の面目躍如の名演でうならせた。「乱れる」では亡父の家の酒屋を切り盛りし、義弟に純粋な想いをよせられ苦悩する嫁を、女の哀しさを厳しさの中に秘めて好演した。これら木下・成瀬作品に出演することによって、自らの演技を深化していったのである。上記以外では、野村芳太郎監督「張込み」58で、殺人を犯して逃げる昔の愛人の胸にしがみつく人妻を抑えた演技で痛切に演じ、稲垣浩監督の「無法松の一生」リメイク版58では、三船敏郎の松五郎にほのかな慕情を寄せられる吉岡大尉夫人を好演。夫君・松山善三の監督第1作「名もなく貧しく美しく」61では小林桂樹を相手に、聾唖者同士の結婚という困難な道を選んだ夫婦の戦争末期から戦後にかけての生活を描き、全篇を手話で通すという難役を抜群の演技力で演じのけた。松山作品ではほかに「山河あり」「ぶらりぶらぶら物語」62、「われ一粒の麦なれど」64、「六絛ゆきやま紬」65、「父と子/続・名もなく貧しく美しく」67、「ふたりのイーダ」76、「泣きながら笑う日」77などに出演し、名コンビぶりを披露している。また、増村保造監督「華岡青洲の妻」67、豊田四郎監督「恍惚の人」73などにも出演、貫禄ある姿を見せている。79年の木下監督の社会派作品「衝動殺人・息子よ」では若山富三郎との夫婦役で、理由なき殺人の被害者家族として保護法案の実現に奔走する母を情感豊かに力強く演じて、50年に及ぶ女優としてのキャリアを遺憾なく見せた。テレビドラマは、松山が脚本を手がけた68年のTBS『東芝日曜劇場/浮かれ猫』に初出演以来、多数出演。また70年にはフジテレビ『小川宏ショー』の『高峰秀子対談』の司会もつとめた。舞台では72年10月、有吉佐和子が翻訳した紀伊國屋ホール『ケイトンズヴィル事件の九人』に出演している。映画から離れて以降は、エッセイストとして多くの本を出版。自伝『わたしの渡世日記』では76年度の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。晩年は夫・松山の傍で静かな時間を過ごしていたというが、2010年12月28日に肺癌のため86歳で死去。「子役は大成せず」の常識を見事に打ち破り、戦後日本映画を代表する大女優として生きた見事な人生だった。

キネマ旬報の記事

2012年6月下旬号

レポート:高峰秀子さんを偲ぶ会

2011年12月上旬号

高峰秀子の時代に遅れてきた僕たちは本当の映画ファンにはなれないのかもしれない:最終回

2011年11月上旬号

高峰秀子の時代に遅れてきた僕たちは本当の映画ファンはなれないのかもしれない:第5回

2011年10月上旬号

高峰秀子の時代に遅れてきた僕たちは本当の映画ファンにはなれないのかもしれない:第4回

2011年9月上旬号

高峰秀子の時代に遅れてきた僕たちは本当の映画ファンにはなれないのかもしれない:第3回

2011年8月上旬号

高峰秀子の時代に遅れてきた僕たちは本当の映画ファンにはなれないのかもしれない:第2回

2011年7月上旬号

高峰秀子の時代に遅れてきた僕たちは本当の映画ファンにはなれないのかもしれない:第1回

2011年4月上旬号

追悼特集 ありがとう、高峰秀子さん:高峰秀子に贈る言葉

追悼特集 ありがとう、高峰秀子さん:共演者が語る 岡田茉莉子、宝田明

追悼特集 ありがとう、高峰秀子さん:映画作家と高峰秀子 山本嘉次郎、成瀬巳喜男、木下惠介

追悼特集 ありがとう、高峰秀子さん:忘れられない高峰秀子

追悼特集 ありがとう、高峰秀子さん:キャメラの傍から見た高峰秀子さん

追悼特集 ありがとう、高峰秀子さん:書き手としての高峰秀子

追悼特集 ありがとう、高峰秀子さん:フィルモグラフィ

追悼特集 ありがとう、高峰秀子さん:再録(1)『インタビュー 日本のスター/第23回 高峰秀子の巻 子役出身の大女優 聞き手・水野晴郎(1984年12月上・下旬号)』

追悼特集 ありがとう、高峰秀子さん:再録(2)『寄稿 映画俳優の仕事と生活/どうして役をつかむのか』

2006年4月上旬号

これがはじまり:第1回 高峰秀子

2005年9月上旬号

独占インタビュー 高峰秀子:成瀬巳喜男監督を語る

2004年10月下旬号

特別寄稿 映画女優 高峰秀子:

1998年臨時増刊 黒澤明と木下惠介

文献再現・若き日の黒澤明、木下恵介:木下恵介x高峰秀子 対談 頑固な監督さん、強情な俳優さん

1984年12月下旬号

インタビュー〈日本のスター〉:高峰秀子(後篇)

1984年12月上旬号

インタビュー〈日本のスター〉:高峰秀子(前篇)

1966年7月上旬夏の特別号

日本映画の主役俳優に問う:森繁久弥・高峰秀子・三船敏郎・若尾文子・石原裕次郎・三国連太郎・小林桂樹・鶴田浩二・岩下志麻の諸君へ

1962年11月上旬号

特集 30年を迎えた東宝:座談会 砧村から世界の東宝へ 30年の思い出を語る 渋沢秀雄×長谷川一夫×高峰秀子×森岩雄×山本嘉次郎

1962年10月上旬秋の特別号

特別付録1 グラビア 10人が選んだ10人の女優:[選ばれた人]京マチ子・山田五十鈴・高峰秀子・倍賞千恵子・若尾文子・岡田茉莉子・叶順子・新珠三千代・吉永小百合・藤村志保

1961年4月下旬号

座談会 映画における女性の立場:川喜多かしこ×田中絹代×高峰秀子×山本恭子

1959年5月上旬号

グラビア CLOSE-UP:高峰秀子

1958年7月上旬創刊四十年記念特別号

私とキネマ旬報:40年の足跡の意味

1958年1月上旬新春特別号

特別グラビア:高峰秀子

1957年9月上旬特別号

1000号記念特集 女優:絹代・五十鈴・秀子芸談 田中絹代×山田五十鈴×高峰秀子

1957年2月上旬特別号

ベスト・テン30回に寄せる:

1957年1月下旬号

キネマ旬報映画講座第1部第17講:映画俳優の仕事と生活 どうして役をつかむか

1957年臨時増刊号 新春特選名作シナリオ集

表紙写真:高峰秀子

1956年2月上旬ベスト・テン発表記念号

特別グラフィック:高峰秀子

ベスト・テン映画・その他:谷崎潤一郎・高峰秀子

1955年増刊 日本映画大鑑 映画人篇

グラフィック:高峰秀子

1955年2月上旬ベストテン発表記念特別号

グラフィック 特別口絵:高峰秀子

対談 頑固な監督さんと強情な俳優さん:木下恵介×高峰秀子

木下さん、高峰さん、おめでとう:

1954年9月上旬号

特集グラフィック 映画人クロースアップ:高峰秀子

1953年増刊 アメリカ映画大鑑 '53-'54年

アンケート ごひいきスタア:高峰秀子

1953年7月下旬号

特集 成瀬巳喜男・研究:優しくて怖い先生

1951年4月上旬特別号

「カルメン故郷に歸る」を語る:貴重な經験