1926年(大正15)年、中国東北部、旧満州の大連市で生まれた羽田澄子は満州事変、日中戦争、太平洋戦争と、日本が戦争に明け暮れた時代に少女期を過ごす。19歳の時に敗戦を大連で迎えた羽田にとって、旅順、大連は懐かしい故郷。しかし、敗戦後長い間、故郷を訪れることはできなかった。ことに重要な軍港だった旅順は、日中交回復後も長い間、未開放だった。2009年にようやく全面開放が実現。これを契機に羽田は、旅順訪問に対応したツアーに参加。参加者の多くは、羽田同様に旅順を懐かしむ人たち。日露戦争の戦跡や育った家、学校など思い出の場所を歩き、記憶を辿る。だが今や旅順も大連も中国の領土。日本統治時代の歴史を懐かしむためにあるのではない。日清・日露戦争、40年に渡る日本の支配、さらに日本の敗戦とその後のソ連の統治といった複雑な歴史を経て、今や旅順も大連も目覚しい発展を遂げ、都市の風情は大きく変わった。そこには日本人が懐かしむ故郷ではなく、活気溢れる中国の姿がある。