大正十一年。新潟からやって来た石黒彦市は、ゴンゾウとして横浜に住みついた。そのゴンゾウ部屋は、やくざの村山組が仕切っていたため、彦市は賭場に出入りするようになった。ある日、博奕のもつれから賭場に君臨していたバカ鉄を天秤棒で殴り殺した彦市は、村山親分に気に入られることになった。そんなある日、賭場荒しのぽっかりの春と親しくなり、以来、二人は賭場荒しに手を染めるようになった。大正十二年九月一日、関東一帯を大地震が襲った。大震災による社会不安、それに続く、彦市が理想としていた無政府主義者に対する国の弾圧等を契機に、彦市の人生も大きく変っていった。生きている限り好き勝手にやろうと決心し、決め事の多い枷に縛りつけられたやくざにも馴染めなかった。以後、彦市の賭場荒しは本格化し“ぶったぐりの彦”と恐れられるようになった。そして、ぽっかりの春、不良青年の赤坂トッピン、女衒の誘拐清水と盃を交した。そんな時、彦市はキヨホテルで娼婦のおきみと知り合い、互いに惹かれるようになった。やがて、彦市は清水の手を借りて、おきみを足抜きし、二人は村山親分の兄弟分である砂村の秋原一家の世話を受けることになった。だが、彦市は秋原一家への義理から、喧嘩相手の白井一家の子分を斬り、逃走している間に、清水がおきみを、キヨホテルへ連れ戻してしまった。怒った彦市は、清水の隠れ家を探し出しドスを突き刺した。その足で自首した彦市は懲役7年の刑を受け、5年6ヵ月の歳月を前橋刑務所で送った。それより前、勢いづく彦市を狙っていたやくざ、村岡は、右翼団体“鉄血社”のために人を斬り、彦市と同じ頃、刑に服していた。彦市より早く出所した村岡は、ある日おきみと会った。彦市を不びんに思った村岡はおきみに事情を聞くが、おきみは「あの夜からおきみは死んでしまった」と逃げるように言い去った。村岡は、早速服役中の彦市に面会し、それを伝えた。敵味方であるはずの二人だが、お互いに気ごころは通じ合うものがあった。昭和7年3月、彦市は仮出所した。彦市は東京八丁堀に居を構え、何人かの子分が彼に仕えるようになった。だが、彦市は同じ町のやくざ桐川一家とトラブルを起した。親分桐川猪一郎は、村岡と同じ右翼団体“大化会”に属していたため村岡の心境は複雑だったが、彦市と一戦を交す意志はなかった。しかし、彦市の留守に、村岡の舎弟、井原と佐竹がぽっかりの春を殺害した。愕然とした彦市は村岡との盃を返すのだった……。