大学の心理学教授である山本先生には二人の子供がいるが、不幸にも二人共小児マヒにおかされた。山本先生と妻の文子は全霊を傾けてその治療に尽したが効果は挙らなかった。長男の有道はビッコだと馬鹿にされ、或る日など友人のいたずらで盗人の嫌疑をかけられたため、遂に学校へ行くのもいやがる様になった。弟の照彦も小児マヒになったのはその頃である。山本は文子に激励され、全財産をなげ打って小児マヒの子供のための学校「しいのみ学園」を創ることにした。山本の教え子の渥美かよ子も志願して先生となった。この学園の教育法は、先ず障害者という劣等感を排除してノビノビさせることにあった。或る日、岡山から新聞記事を見た夫婦が小児マヒの子供を連れて来た。厄介者を置いて行く様な夫婦の態度だったが、子供の将来を想って預ることにした。鉄夫というこの子はいじけた子だったが、徐々に明るくなった。楽しいピクニックの翌日、鉄夫は岡山の父母に手紙を書いたが、返事がなく淋しそうだった。その頃、電車ごっこをしていた鉄夫は、誤って倒れたのが因で重病となった。「手紙手紙」というウワ言を聞いたかよ子は、自分で手紙を書いて郵便局から出した。それを父母から来たものと思い鉄夫は喜びながら死んで行った。その初七日にかよ子と子供たちは鉄夫にお別れの手紙を書き、しいのみ学園の歌を唄いながらポスト迄出しに行くのだった。