男性      女性

※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。

NEWS

KINENOTE公式Twitter

広島仁義 人質奪回作戦

  • ひろしまじんぎひとじちだっかいさくせん
  • The Yakuza Code Still Lives
  • The Yakuza Code Still Lives

amazon


  • 平均評点

    60.0点(33人)

  • 観たひと

    53

  • 観たいひと

    4

  • レビューの数

    7

基本情報

ジャンル ドラマ
製作国 日本
製作年 1976
公開年月日 1976/12/4
上映時間 90分
製作会社 東映京都
配給 東映
レイティング 一般映画
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ カラー/シネスコ
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル
上映フォーマット 35mm

スタッフ

監督牧口雄二 
脚本松本功 
大津一郎 
企画日下部五朗 
杉本直幸 
上阪久和 
撮影赤塚滋 
美術富田治郎 
音楽渡辺岳夫 
録音溝口正義 
照明北口光三郎 
編集市田勇 
進行主任野口忠志 
助監督俵坂昭康 
スチル中山健司 
製作宣伝田中憲吾 

キャスト

出演松方弘樹 神野弘志
中島ゆたか 神野涼子
佐藤友美 北条佐代
三上真一郎 坂本稔
西田良 千田守
片桐竜次 高井五郎
友金敏雄 木下伸也
奈辺悟 小谷定雄
今井健二 柴田栄
夏八木勲 竹森勇三
沢美鶴 石垣正武
国一太郎 幹部
川谷拓三 吉永照久
氷室浩二 末広八郎
阿波地大輔 古川
司裕介 丸山
勝野賢三 中野勝
藤沢徹夫 田上利男
細川ひろし 絹員A
白井孝史 組員B
松本泰郎 組員C
三島康正 組員D
福本清三 組員E
室田日出男 沖本常幸
地井武男 柏木保
岩尾正隆 井川周吉
遠藤太津朗 高安友春
奈三恭子 坂本君江
山下恵子 美紀
内村レナ いく子
秋山勝俊 小谷英雄
森源太郎 小原
丸平峰子 ヨセヤ主人
小田正作 遠藤
南道郎 砂田
中村錦司 松村
砂丘姉妹 歌手
笹木俊志 刑事
小坂知之 警官
田中政美 北条明子
小峰一男 総会屋
稲垣陽子 女事務員
真鍋美保 柏木の妾
北川俊夫 三好
星野美恵子 看護婦
岡田正美 女秘書
三村敬三 アナウンサー
酒井哲 ナレーター
小林旭 北条明光

解説

虚弱な連合体を辛うじて守り抜こうとする兄貴分と、典型的な広島やくざの弟分の殺し合いを、企業を餌食にする現代やくざの実態を背景に描く。脚本は「女必殺五段拳」の松本功と「徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑」の大津一郎の共作、監督は同じ「徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑」の牧口雄二、撮影は「沖縄やくざ戦争」の赤塚滋がそれぞれ担当。

あらすじ

昭和四十三年春、広島。関東同志会の広島進出に県下の暴力団、津島組・大西組・酒木組は一致団結して、これを撃退した。この事件で殺人を犯した大西組幹部、神野弘志は新妻の涼子を残して八年の刑に服した。この事件の後、津島組と酒木組の間に内部抗争が起こり、酒木組は解散して、幹部の沖本らは広島所払いとなった。翌年、県下の暴力団は統一され、神和連合会として大同団結することになった。昭和四十八年、神和連合会二代目会長として、神野の兄弟分の北条明光が就任した。昭和五十一年、八年の刑を終えて神野は出所した。北条と会った神野は、やくざの足を洗って堅気になることを伝えた。一方、神和連合は慢性化した不況で、正業とする建設、不動産、港湾関係の仕事は軒並み減収で、非合法の野球賭博と競艇のノミ行為は警察の厳しい取締りにあい、わずかに金融と覚醒剤に活路を求める状態で、新しい資金源が早急に必要であった。ある日、神野は八年前に広島所払いになった沖本を訪ねた。いまは旭経済研究所の総会屋をやっている沖本は、神野に総会の仕事を勧めた。沖本の熱心な勧めに、神野は旭グループの顧問となった。総会シーズンを迎えて、旭グループの東京進出は、神野らの強引とも思われる働きによって、またたく間に三十数社の総会をとりしきるに至り、飛躍的に発展して行ったのである。そんなある日、旭グループのリーダー柏木が神野に、資本金百億の東邦汽船が事故の損害賠償の積立金に見せかけて不正な貸付けを行ない、裏金利をかせいでいることを告げた。神野と柏木たちは早速、東京の東邦汽船の本社に出向いたが、東邦汽船には関東同志会の幹部、高安が絡んでいて、柏木の車に時限爆弾を仕掛けるなど威嚇して来た。柏木は関東同志会の幻影に怯えて、神野に相談もなく、北条に助けを求めた。だが神野としては北条の力を借りずに、自分たちでこのかたをつけたいと思ったが、北条はやくざ同志のいざこざはやくざがかたをつけるとそれを阻止して、柏木の引き渡しを拒んだ。そのことを耳にした沖本は、北条を訪れて話し合おうとしたが、北条に会えぬまま神和連合会幹部、竹森に射殺されてしまった。その頃、北条らは急拠京都において、高安ら関東同志会幹部と会談し、東邦汽船の不正貸付を公表しない事を条件に、会社側から五千万円を支払わせることで合意に達していた。沖本の水死体が、江田島沖合で漁船に発見されたのは、それから二日後のことであった。さすがの北条も、昔は神野と同じく五分の兄弟分だった沖本を殺らせた事に対する可責の念に苦しんだ。しかし、八年間の空白はそれにも増して大きかった。神野が沖本の死を知って神和連合に怒鳴り込むと、北条はあっさり沖本を殺らせた事を認めた。しかも北条は、旭グループが神和連合の傘下に収まるように、と真向から神野に立ち向って来たのであった……。

関連するキネマ旬報の記事

1977年2月上旬号

日本映画紹介:広島仁義・人質奪回作戦