スペイン内線が激化する一九三七年、テルエル・リナス村近郊ではフランコ将軍に率いられた反乱軍の攻勢が激しくなり、共和国側に立った人々は乏しい武器を手に闘っていた。反乱軍がサラゴサの町に通じる橋に迫り、共和国側が分断される恐れがあるため、飛行隊に橋の爆破の要請が入る。一方、町の共和派パルチザンもリナス村の農民たちと合流した。反乱軍が建設中の飛行場の存在を知らせるために飛行隊と合流した農夫(ホセ・ラドー)をガイドに、ムノス大尉(メフート)ら二機の爆撃機が出撃し、飛行場を爆撃した後、ムノス大尉の機が単独で橋の爆破に向かい、爆撃には成功するが敵機と激しい空中戦となり、味方の救援も空しくムノス大尉の機は傷付きテルエルの山に激突した。やがて山頂から死傷者が運び降ろされ、山間の村々の人々は、ムノス大尉たちを讃え、連帯と別れの挨拶を送りながら付き従っていくのだった。