「人生は喜劇だ」という言葉があるが、喜劇を通じて人生の深さを表現するクリエイターの代表が、チャールズ・チャップリンという人物だろう。

今回、膨大なNGフィルムの一部を拝見し、彼の生み出す笑いのひとつひとつが苦悩とそこから練り出される実に豊かな表現力の結集であるということを改めて痛感した。

例えば『街の灯』の、盲目の花売りの娘がチャップリンを金持ちの紳士と勘違いするシーン。どうすればコミカルに、かつ自然に、そのハプニングが起きるかということに腐心するあまりの膨大なNG。しかし、採用されたたった数分にも満たない1シーンは実に見事な演出で、「ありえない」映画の出来事がまるで「身近な現実に」なってしまうような錯覚すら感じさせる。

デジタル全盛の今と違い、当時はフィルム撮影してそれを現像して初めて結果が分かるという時代。当然、ポストプロダクションの技術もないだろう。まさに、撮影現場での一瞬一瞬が勝負。そんな中で、より高いゴールを目指して作品を作り続けた姿勢に深く頭を垂れた。

NGフィルムというのは「失敗したフィルム」ではなく、製作者や演技者たちの汗と涙と努力の記録だと思っている。もちろん、観客の目に触れるべきもので決してないし、チャップリンもそう考えたから「すべて処分を」という指示を出していたのだと思う。だが、私は映像芸術を学ぶ高校生の息子とこのフィルムを見られて幸運だった。ゼロから世界を創り上げる「映画」と言うクリエイティブのなんたるかを改めて勉強させていただけたから。

チャップリンのNGフィルムを観るということは、ミッキーマウスの中に入っている汗だくのお兄さん(…かどうかは知らないが)を目撃してしまうくらい罪深い行為ではあるまいか? 試写前はそんな思いをめぐらしていた。ただ裏腹に「やっぱり舞台裏、観たいよなぁ」という思いも正直あって、「チャップリン映画は十分僕たちに笑いと感動を届けてくれた。だからもういいでしょう、そろそろ解禁!映画の裏側、覗けるものなら覗かせてくれよ!」という欲求が競り勝ってしまったというわけだ。

そもそも、完全主義者といわれるチャップリンがなぜNGフィルムを保管していたのか?さらに言えば、チャップリンは本当に完全主義者だったのか?という素朴な疑問が頭を駆け抜ける。前者は、チャップリン映画の多くを手がけた撮影監督ローランド・トサロー氏が焼却指示をスルーして無断で保管していたらしく、その後めぐりめぐって英国映画協会で回収することができたという曖昧な経緯を辿ったらしいが、それよりも、チャップリン自身はゴミ同然に扱っていたというところがなんとも興味深い。また後者は、皮肉にも彼にとってなんの価値もないそのNGフィルムが、結果的にファンの中で伝説化している「完全主義者」を証明する唯一の物的証拠になってしまったところである。

ドキュメンタリー本編では、『街の灯』の放浪紳士チャーリーと盲目の花売り娘が出会うシーンのNG映像を象徴的にピックアップしているが、思い通りのシーンが撮れず、イライラしたり、頭を抱えたり、トサローに怒りをぶつけたりするチャップリンの生身の姿が映し出されている。この貴重な映像を観るだけでも、彼がいかに完全主義者(しかも筋金入り!)であったかがみてとれるし、いままで明かされなかった独自の制作スタイルも鮮明に浮かび上がってくる。そして何より凄いのは、何度も撮り直しを重ねながらアイデアを模索する彼の“苦悩臭”のようなものが完成作品からまったく漂ってこないというところ。NG映像を観たからこそ、逆にその徹底した消臭ぶりに驚かされてしまうのだ。

その他、主にミューチュアル・フィルム社時代の短編映画(「午前一時」「移民」ほか)のNG映像をふんだんに盛り込みながら、共演者、研究者、遺族らのインタビューを交えてチャップリンの創作の軌跡を辿っていく構成となっているが、一般的に人気の高い『キッド』や『モダン・タイムス』『独裁者』『ライムライト』などの作品は、ほぼ語りでひも解いている点に「もうひと声!」という思いがあるものの、パート2制作への期待と、なんといっても『街の灯』の貴重なNG映像だけでも必見の価値十分である。

最後に、『ライムライト』の相手役クレア・ブルーム氏(インタビューで登場)が健在であったことを心からうれしく思い、また、本ドキュメンタリー具現化の土台を作ってくれた大野裕之氏(日本チャップリン協会会長)の粘りと情熱にこの場を借りて心から感謝したい。もしも第2弾、第3弾があるとするならば、NG映像が持つ力を生かしながら、製作者として、監督として、脚本家として、音楽家として、俳優として、そして人間として…さらに一歩踏み込んだ「チャップリン像」を映し出していただけたら、ファンにとってこんなうれしいことはないだろう。このドキュメンタリーはその壮大なプロローグであることを祈っている。

台詞に頼れない無声映画時代で、今のようなCG技術の無い時代に、頭を使って様々な工夫をこらして楽しい作品を作ったチャップリンはまさに映画界のパイオニアであると改めて感じた。

「NGフィルムからチャップリンの作品に対する考え方の変遷を見ることができる」というのが興味深かった。このようなことになるのはチャップリンがシナリオ無しで映画を撮っていたことに起因すると思う。(シナリオがあっても即興で作ることが多かったという)

シナリオは第1稿ではまず決定稿とはならない。何度も書き直して、話し合っていくうちに脚本家や監督、プロデューサーの作品に対する考えや表現方法が変化していく。そんな紆余曲折があって決定稿が出来上がり、撮影に入る。このような作業がチャップリンには無い。脚本家が紙に書いて削ったり貼ったりするシーンを、チャップリンはいきなりフィルムで撮って削ったり貼ったりしているのだ。制作進行のメモも“RETAKE”の文字が目立っていたが、本来の映画製作ならばそこは“REWRITE”になるのかもしれない。なんとも贅沢な話だとも思ったが、今になってチャップリンが偉大な映画人ともなれば、それらのNGフィルムは非常に興味深い貴重な宝となる。これが並みの監督だと“フィルムの無駄使い”に過ぎなくなってしまうのだろう。チャップリンのNGフィルムが膨大にあることを知って、“シナリオの大切さ”にも気付かされた。

もう一つ印象に残ったのは、トーキー映画が出現した時のチャップリンの戸惑いだ。「放浪者チャーリーが声を発した時、チャーリーはチャーリーでなくなってしまう。チャーリーが声を出した途端、それは別なものになってしまう」というようなことをチャップリンは言っている。このチャップリンの言葉を聞いて思い出した。

わたしは子供の頃チャップリンが大好きで、笑い転げながらよく『黄金狂時代』などを観た。しかしある時からパッタリと観なくなってしまったのだ。そのきっかけになったのはそう、チャップリンの声を聞いたことだった。子供心にショックだった。放浪者チャーリーの声をどんな風に想像していたかは覚えていないが、とにかくチャップリンの生々しい男性の声がたまらなくイヤだったのだ。(失礼な話だが・・・)

そんなことを思い出し、トーキーの時代が来た時のチャップリンの不安は正しいものだったのだと思った。そしてチャップリンは観る人の気持ちを正確に察知できる監督だったのだと思った。だから今もなおチャップリンの映画は多くの人たちから愛されるのだろう。

今の映画は説明台詞が多く、CGに頼った安易な映像が目立つように思う。今回チャップリンの映画に久し振りに触れてみて、現役の映画人には今こそチャップリンの作品を観直して欲しいと思った。チャップリンの作品こそ画を映してストーリーを語る正に“映画”なのであるから。

チャップリンの人生と創作活動がよく分かった。台本のみならず構想も定まらないまま撮影を開始し、撮り直しを繰り返し、ストーリーをつくり上げていく手法に付き合わされる役者やスタッフの苦労を思うと気の毒だが、チャップリンは感性の人で、根っからのクリエイターだったんだなぁ、と思った。

まだまだ膨大なNGカットがあるようなので、機会があったら観てみたい。「サイコ」製作過程を描いた「ヒッチコック」のように、NGテイクと再現ドラマとを組み合わせた番組をWOWOWで観れる日が来るのを期待する。

チャップリンの映画の魅力は、主にチャップリンの生まれ持った天才的才能とひらめきによるところが大きいと思っていましたが、今回のNG集を拝見して、その完璧主義者ぶりに驚きました。1つの数分のシーンに膨大な時間とお金を費やす超こだわり派な一面があるとは思ってもみませんでしたし、天才の誉れ高いチャップリンの意外な素顔を知ることができて改めて作品を見直してみたいと思いました。

上映後のトークショーもとても興味深い内容で、楽しいひとときをありがとうございました。

今時のNGといえば演技の失敗のNGである。しかしながらチャップリンは、さらに面白くするためにはどうしたら良いかという試行錯誤のNGであり、一人の役者が一本の映画に賭ける情熱がここまで凄いとは驚きです。台本がないというのもあるのですが、それが最初とは別の方向に行ってしまうのも興味深かったです。また、完璧主義とのことでしたが、芸術家でもあるかもしれませんが、トークで苦労話を話さないとも言われていたので、職人とも思ってしまった。なので手作り感のある、人間味があふれる作品ができるのでしょう。喜劇に苦労は似合わない、そんなひとつ筋を通した人生観にも感じました。ただこのNGフィルム、決して失敗とは思えないので、うまくつないで1本の映画にしたら面白いだろうなと思いました。

最近では、DVDなどが手に入りにくくなっており、チャップリンの映画をあまり観たことは無かったのですが、代表作といわれる作品はいくつか観てきました。

それを観る限りでは、チャップリンが即興で台本なしで演じているのはわかるのですが、まさか数分のシーンを何度も何度も撮り直しているというエピソードは意外でした。完璧主義者である彼ならではの笑いに対する姿勢が数々の名作にあらわれているからこそ、今でも愛される作品に仕上がっているのだとわかりました。WOWOWの再放送も楽しみにしています。ぜひ、また観たいと思える内容でした。それまでにチャップリンの作品で観ていないものを観ておこうと思います。

上映後のトークショーも興味深かったです。映画「マペッツ」でチャップリンが使用していたスタジオが使われていると聞き、WOWOWで録画してあった「マペッツ」をすぐ観ました。

写真撮影もあり、貴重な時間を過ごさせていただきました。

※一部、社名や年号などを正して掲載させていただいております。