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EIGA, MON AMOUR

「映画運動」、それは、映画を学ぶ上では避けては通れないターム。ドイツ表現主義、ネオ・レアリズモ、ヌーヴェル・ヴァーグ、アメリカン・ニューシネマ、ドグマ95……映画史上の各時代においては、さまざまな映画運動が誕生してきました。一見、それぞれは独立しているように見えますが……果たして本当にそうなの? 教えて、分かるひとー! というわけで、松﨑先生による映画講座・第3回目を開講します。

取材・文=小山田桐子

今回のテーマ:映画運動の流れから映画を学ぶ

松﨑
映画検定の試験日が11月30日に決まりましたけど、大谷さん、本当に受験されますか?
大谷
もちろん、受けますよ! ただ、手元にある参考書が一冊しかなくて、これだけじゃ不安なんですよね。過去問ってなんかやる気にならないんですよ。もうこの問題は1回出たから出ないだろうって思っちゃって(笑)。
松﨑
過去の問題も選択肢を変えて出題したりするので、やっておいて損はないと思いますよ。例えば、アメリカン・ニューシネマの問題とか映画史上の有名どころってあるじゃないですか。それって問題自体はあまり変えようがないので。というわけで、今回は映画史上で絶対に押さえておきたい映画運動の流れを学んでいきたいと思います。
大谷
映画運動……あ、ヌーヴェル・ヴァーグとかそういうやつですか? ちょっと苦手かもしれない(笑)。
松﨑
では、4級の問題から。これはすごく簡単だと思うんですが。
大谷
すぐわかりましたよ。(ウ)「ヒューゴの不思議な発明」。
松﨑
正解です。
大谷
超最近の作品じゃないですか。しかも、全部アカデミー賞候補になった作品ですよね。
松﨑
4級は2000年代ぐらいの作品から出題されますからね。この問題は映画運動に関しても実は意味があるんです。スコセッシ、「戦火の馬」の(スティーヴン・)スピルバーグ、「ミッドナイト・イン・パリ」のウディ・アレンは皆、60年代後半から70年代ぐらいにデビューしているんです。「SOMEWHERE」のソフィア・コッポラはぐっと若いですが、お父さんであるフランシス・フォード・コッポラはやはり同じ年代にデビューしている。しかも、皆、大手スタジオでの映画製作がほとんど経験なくデビューした人たちなんです。スコセッシやウディ・アレンは東海岸・ニューヨークの人、コッポラやスピルバーグやジョージ・ルーカスなどは西海岸、と分かれて対決していた。
大谷
ラッパー同士がラップで対決するみたいな感じですね(笑)。
松﨑
もともと映画監督というのは、助監督やスタッフを経てなるものだったわけです。でも70年代、スタジオで映画を作っていない人が、各地の映画界に次々に登場してきた。それは、一見別々な出来事に見えますが、実は流れがあって、その流れを作ったひとりがロジャー・コーマンなんです。
大谷
低予算でメッチャクチャたくさんの映画を作ったプロデューサーですよね。
松﨑
そうです。低予算映画だからこそ、彼は実績のない若手監督を思い切って起用し、ジョナサン・デミロン・ハワードといった才能を輩出しています。そうやって世に出た人たちが、のちにルーカスやスピルバーグとも製作の上で関わるようになるんです。
大谷
はあ~、つながってるんですねえ。
松﨑
ハリウッドって世界中からいろんな人種が集まっている場所なので、自ずと最大公約数的な、システマティックな映画の作り方になっていくんですよ。結果としてウェルメイドな、アメリカ国外にも通用する作品が出来上がる。でも、それを味気ないとか、物足りないとか感じる人は当然出てくるわけです。彼らが、スタジオ以外で映画を作るきっかけは、70年代にあったんですね。さて、続いて3級ですが、70年代の流れに影響を与えた、ある映画運動に関連する問題です。